柳生疱瘡地蔵

柳生疱瘡地蔵

奈良県奈良市柳生町、柳生と奈良を結ぶ柳生街道の柳生側入口近くに、大きな花崗岩に浮彫りされた地像菩薩像が立っていますがこれが柳生疱瘡地蔵(やぎゅうほうそうじぞう)。元応元年(1319年)11月の銘があることから、鎌倉時代に造立された地蔵尊であることがわかります。

徳政令を勝ち取った記念の碑文も刻まれる

顔の部分が剥落(はくらく)して、疱瘡(ほうそう)にかかったように見えたのがその名の由来(昭和44年にすぐ下の土の中から顔部分が発見され修復されています)とも、鎌倉時代に何度も大流行した疱瘡除けを祈願して彫られたともいわれています。

地蔵菩薩立像を刻んだ花崗岩の右下部分には、「正長元年ヨリ サキ者カンヘ四カン カウニヲヰメアル ヘカラス」(正長元年以前に借金している者で神戸四ヶ郷には負目あるべからず)と4行にわたって刻まれています。
これは、正長元年(1428年)の大一揆で神戸四ヶ郷(大柳生・坂原・小柳生・邑地)の農民は、借金棒引きの徳政令を勝ち取っていますが、その喜びを地蔵脇に刻んだもので、室町時代の徳政令を記した石碑であることがわかります。

正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)では、大和国の全域を荘園化していた興福寺が徳政令を施行、それを記念して花崗岩に刻んだもので、「正長元年柳生徳政碑」として国の史跡に。
そんな由来から密かに借金棒引きのパワースポットにもなっています。

鎌倉時代には、疱瘡(天然痘)が大流行

疱瘡とは痘瘡ウイルスで起きる伝染病、天然痘のこと(現在は種痘の普及で根絶しています)で、インドから仏教の伝来とともに世界中に広まったとされています。
鎌倉時代の、元仁2年(1225年)には、疱瘡(天然痘)の流行で、嘉禄元年に改元、嘉禄3年(1228年)には風災と疱瘡で安貞元年に改元していますが、鎌倉時代には疱瘡(天然痘)が大流行し、多くの子どもたちが命を落としていることから、疱瘡除け(鎌倉時代に、疱瘡はイモカサ、モガサと呼ばれていました)の地蔵菩薩を建立したという可能性も大です。

実は、平安時代末期〜室町時代の改元で、天暦(947年)、永久(1113年)、大治(1126年)、応保(1161年)、長寛(1163年)、安元(1175年)、治承(1177年)、建永(1206年)、承元(1207年)、嘉禄(1225年)、安貞(1228年)、嘉禎(1235年)、乾元(1302年)、弘和(1381年)、享徳(1452年)と15回もの改元に疱瘡(天然痘)の大流行が関わっています。

将軍家も例外なく罹患し、鎌倉時代には、建久3年(1192年)、後に2代将軍となる源頼家(幼名万寿・当時10歳)が発病、正元2年(1208年)、3代将軍・源実朝(当時17歳)が、嘉禎元年(1235年)、4代将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね/当時18歳)が疱瘡にかかっています。

柳生疱瘡地蔵
名称 柳生疱瘡地蔵/やぎゅうほうそうじぞう
所在地 奈良県奈良市柳生町
関連HP 奈良市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄奈良駅から奈良交通バス柳生・邑地中村行きで50分、柳生上下車、徒歩10分
ドライブで 名阪国道針ICから約16km
駐車場 柳生観光駐車場(50台/有料)
問い合わせ 奈良市観光協会 TEL:0742-27-2223
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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