花江茶亭

花江茶亭

山口県萩市堀内、萩城跡(指月公園)内にある茶室が、花江茶亭(はなのえちゃてい)。安政年間(1855年〜1860年)初期、長州藩13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が萩城三の丸の花江御殿内、橋本川沿いに建てた茶室「自在庵」で、明治22年頃、現在地に移築されています。外観のみ見学可能。

幕末には倒幕の密談も行なわれた茶室

萩城(指月公園)
萩城跡(指月公園)空撮PHotoMap
花江茶亭

幕末の混乱の折には、藩主・毛利敬親らは茶会を装い、家臣や藩士らと倒幕の密談を行なっていたと伝えられています。
建物は、6畳の茶室と3畳の水屋からなる、茅葺き平屋建ての入母屋造り。

維新後、譲渡されましたが、明治22年頃、品川弥二郎らが主唱してこれを買い取り、指月公園内の現在地に移築しました。
移築の際に湯殿と便所が除かれ、瓦葺きの平屋1棟が控えの間として増築。

萩城三の丸にあった別邸・花江御殿(川手御殿・常盤江御殿)は、寛政10年(1798年)に橋本川の中洲(常盤島)の北側に建てられました。
花江御殿あたりから南西の玉江浦の観音院方向を眺める景色は、江戸時代から「玉江秋月」といって萩八景(3代藩主・毛利吉就が定めた萩八景=「倉江帰帆」、「玉江秋月」、「桜江暮雪」、「小松江晩鐘」、「上津江晴嵐」、「中津江夜雨」、「下津江落雁」、「鶴江夕照」)に数えられていました。
常盤島は、現在の常盤大橋の架かる場所で、三の丸一帯は萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区に選定されています。

花江茶亭
花江茶亭
名称 花江茶亭/はなのえちゃてい
所在地 山口県萩市堀内2区城内1-1
関連HP 萩市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで34分、萩城跡・指月公園入口下車、徒歩10分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約46km
駐車場 指月第一駐車場(51台/無料)
問い合わせ 萩市観光課 TEL:0838-25-3139
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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