弥次さん喜多さんの像

弥次さん喜多さんの像

京都、三条大橋の西のたもとにあるのが弥次さん喜多さんの像。江戸時代後期の戯作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛』には、弥次さん喜多さんが清水寺に詣でた後に、三条大橋付近に宿泊する話が登場します。平成6年に三条小橋商店街振興組合が道中安全祈願で建立した像です。

弥次さん喜多さんが梯子を買った「畑の姨」とは!?

弥次さん喜多さんの像

「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意で、現代風に直せば、『東海道徒歩旅行』。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の七編(上下)が京都めぐり編で文化5年(1808年)の刊。

作中、「清水の舞台から傘をさせば飛び降りても平気か?」と聞いて嫌がられたり、三条大橋付近に宿泊し、畑の姨(はたけのおば=林業の盛んな高雄・梅ケ畑周辺にいた女性たち)にまんまと梯子を買わされる話などが出てきます。
十返舎一九は実際にあった職業を取り組み、江戸と地方とのギャップを巧みに表現し、読者を夢中にさせたのです。

『東海道中膝栗毛』七編に登場する「三条の編笠屋」という旅籠は、江戸時代には実際に存在した旅籠で、現在は旅館「加茂川館」となっています。
明治時代には布袋館と称し、宮沢賢治も父親とこの宿に宿泊しているのです(「加茂川館」は大正時代の創業)。

三条小橋商店街振興組合の像は、彫刻家・小山由寿氏の作品。

ちなみに、弥次さんこと栃面屋弥次郎兵衛、喜多さんこと居候の喜多八は駿府(現・静岡市)の出身で、静岡市の駿府城巽櫓(駿府城公園)に面した堀の脇に、『東海道中膝栗毛』刊行200周年を記念して弥次喜多銅像も立っています。

東海道中膝栗毛
畑の姥から梯子を売りつけられて・・・(『東海道中膝栗毛』)
弥次さん喜多さんの像
名称弥次さん喜多さんの像/やじさんきたさんのぞう
所在地京都府京都市中京区中島町
電車・バスで京阪三条駅から徒歩2分。または、地下鉄東西線京都市役所前駅から徒歩5分
駐車場市営御池地下駐車場(1000台/有料)
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