本能寺・織田信長公廟

本能寺・織田信長公廟

天下統一を目前とした織田信長が、NHK大河ドラマ第59作『麒麟がくる』の主人公となった明智光秀の謀反により夢半ばにして自刃した寺が本能寺。往時の本能寺は「本能寺の変」で焼失し、現在の本能寺は豊臣秀吉によって移転、再建されたもの。本能寺境内には織田信長公廟と、森蘭丸ほか本能寺の変戦死者の供養塔があります。

信長の三男・織田信孝が墓所と定める

明智軍に取り囲まれ、本能寺で自刃した織田信長の遺体は見つかっておらず、安土城二の丸の信長廟などにも遺骨は祀られていません。
しかし、明智光秀が討たれてすぐに信長の三男・織田信孝(おだのぶたか)は信長らの燼骨収集の作業を行ない、本能寺の変から1ヶ月後の天正10年7月4日(1582年)に本能寺跡地を信長の墓所と定めています(信長の嫡孫・三法師が継ぐと定められた清洲会議は6月27日)。
本能寺の廟所には信長が所持していた太刀が納められています。

その織田信孝は、秀吉との権力闘争に敗れ、尾張国知多郡野間(現・愛知県美浜町)の内海大御堂寺(野間大坊)・安養院で自刃しています。

豊臣秀吉、徳川家康は死後、神様(権現)として祀られていますが、織田信長は廟があるだけで神社がないのも信長らしいところ。

本能寺の信長公御廟所拝殿は、本堂、表門などとともに国の登録有形文化財に指定されています。

本能寺・織田信長公廟
名称 本能寺・織田信長公廟/ほんのうじ・おだのぶながこうびょう
所在地 京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522-1
関連HP 本能寺公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄東西線京都市役所前駅から徒歩1分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約8.5km
駐車場 市営御池地下駐車場(1000台/有料)
問い合わせ 本能寺 TEL:075-231-5335
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
本能寺

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