明治の初め、高瀬川一之船入周辺は大阪を京を結ぶ高瀬舟の終着地として賑わっていました。二条通りを隔てた東北側には、明治3年、工業試験場である京都舎密局が設立。明治8年、島津製作所の創業者である初代の島津源蔵は、この地を選んで、わが国で初めて教育用理化学器械製造を開始し、島津製作所創業之地となっています。
島津源蔵が教育用理化学器械製造を始めた地
もともと島津家は、仏具の製造が家業。
万延元年(1860年)、島津源蔵は、21歳の時、高瀬川舟運の一之船入近く、木屋町二条に店を出します。
明治3年に設置の京都舎密局(きょうとせいみきょく/舎密は、蘭語のchemie=化学の当て字)に出入りするよになった島津源蔵は、石鹸、氷砂糖、ガラスなどの製造指導をする舎密局で知識を吸収し、明治8年3月31日、島津製作所を立ち上げて、真空ポンプや避雷針をはじめとした学校教材用の実験器具の製造を開始。
明治10年12月6日には、仙洞御所の広場で国内初の有人気球(水素ガス気球)を空に浮かべています。
京都府から理化教育への人々の関心を高める目的で国内初の有人気球制作を依頼されたのがきっかけで、伏見の酒蔵から巨大な仕込み樽11個を購入して水素を製造、水素ガス気球を地上36mまで浮かしています。
明治11年に来日し、陶磁器やガラスなどの製造を指導したドイツ人、ゴットフリード・ワグネル(Gottfried Wagener)にも接し、欧米の技術を吸収したのです。
二条通りと木屋町通りの交差点には、「島津創業記念資料館」(創業者・島津源蔵の住宅兼研究所を再生、国の重要文化財)が建ち、資料館脇には昭和13年に初代源蔵生誕100年を記念して建立の「島津製作所創業之地碑」が配されています。
「源遠流長」の文字は、「創業以来の島津の事業は、川の流れのように発展する」の意。
2代目の島津源蔵は、明治29年10月、国内初のレントゲン写真の撮影に成功、明治41年、国産初の医療用X線装置を開発、明治41年、クロライド式鉛蓄電池の「GS蓄電池」(GSは島津源蔵のイニシャル)販売するなど、生涯で12ヶ国170件に及ぶ特許を取得し、まさに、「川の流れのように発展」したのです。
島津製作所創業之地 | |
名称 | 島津製作所創業之地/しまづせいさくしょそうぎょうのち |
所在地 | 京都府京都市中京区西生洲町 |
電車・バスで | 地下鉄東西線京都市役所前駅から徒歩4分、京阪電鉄三条駅から徒歩7分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約9kmで市営御池駐車場 |
駐車場 | 市営御池地下駐車場(1000台/有料)など周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 京都総合観光案内所 TEL:075-343-0548 |
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