青女の滝

青女の滝

京都府京都市右京区花園にある法金剛院の境内の庭園にある人工の滝が青女の滝(青女滝)。大治5年(1130年)、待賢門院(たいけんもんいん/藤原璋子・ふじわらのしょうし )の命で林賢(りんけん)が築いた浄土式庭園の池に流れ込む滝で、日本最古の人工の滝として国の特別名勝になっています。

日本最古の人工の滝は、国の特別名勝に

青女の滝

待賢門院(たいけんもんいん)は、鳥羽天皇の皇后で、崇徳天皇(すとくてんのう)、後白河天皇の母で、権大納言(ごんだいなごん)、・藤原公実(ふじわらのきんざね)の娘。
法金剛院を建立していますが、大治4年(1129年)の白河院の没後、夫の鳥羽上皇とは不仲で、後には待賢門院が鳥羽上皇を呪詛(じゅそ)するという噂が立つほどでした。

そんな不仲を背景に、待賢門院は、法金剛院の整備に力を注ぎ、大治5年(1130年)、見事な浄土式庭園を落成し、鳥羽上皇を伴って落慶供養を行なっています(待賢門院は晩年を法金剛院で過ごしています)。

作庭し、巨大な石で高さ7尺(2m)ほどの青女の滝を築いたのは、林賢(りんけん=仁和寺流の秘伝書『山水並野形図』を受け継いだ平安時代を代表する作庭家)で、人の手によるものとは思われない素晴らしさだと絶賛されたと当時の日記などにも記されています。

それでも満足しなかった待賢門院は、3年後の長承2年(1133年)、仁和寺の僧・徳大寺静意(とくだいじじょうい)に命じて、さらに5尺〜6尺(1.5m〜1.8m)ほど高く組み直させているのです。
現存する滝は、下段を林賢が組み、静意が上段を積み上げたものと推測できます。

浄土式庭園と滝組は長らく埋もれていましたが、昭和43年に法金剛院境内の発掘調査が行なわれ、上端部のみ顔を出していた青女の滝の石組が完全な姿で残存することが判明。
昭和45年に滝石組と滝から池への流れ、池や植栽の整備が進み、平安時代に隆盛した浄土式庭園(宇治の平等院がその代表格)が復元されたのです。
滝石組や池の周囲には、モミジ、赤松、桜、椿、アジサイ、センリョウなどが植栽され、池には蓮が茂ります。
桜は待賢門院ゆかりの品種の少し紫がかった花が咲く待賢門院桜(たいけんもんいんざくら)が、蓮も伝統的な品種が植えられています。

林賢は「衣もて なつれとつきぬ いしのうへに よろつよをへよ たきのしらいと」と白糸のように落ちる滝の風情が永遠に残るようにと願っていますが、昭和43年に発掘復元され、その夢が叶ったかたちに。

ちなみに青女の滝の滝は、背後の五位山とあわせ国の特別名勝に指定。

青女の滝
背後の五位山とあわせ国の特別名勝に指定
青女の滝
名称 青女の滝/せいじょのたき
所在地 京都府京都市右京区花園扇野町49
関連HP 法金剛院公式ホームページ
電車・バスで JR花園駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約9km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 法金剛院 TEL:075-461-9428/FAX:075−463−7057
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
法金剛院

法金剛院

京都府京都市右京区花園にある京都には数少ない唐招提寺に属する律宗寺院が法金剛院。平安時代初期、右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)の山荘を没後、双岳寺に改めたのが始まり。国の特別名勝である庭園は、平安時代末期の池泉回遊式浄土庭園。青女の滝(

 

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