京都府京都市中京区上白山町にある歯痛の神様として知られる古社が、白山神社。平安時代末、加賀国(現・石川県)の白山権現(現在の白山比咩神社=白山神社の総本社)が祭神。比叡山延暦寺と院政を敷いた後白河院(後白河上皇)の対立までに発展した白山事件ゆかりの古社です。
治承元年(1177年)の白山事件で創建された古社
治承元年(1177年)、白山権現の僧兵が神輿(みこし)を担いで京の朝廷に直訴に訪れた際、守護する武士に追い返され、加賀へと引き上げる際に、神輿1基が動かなくなり放置された場所に、社を創建したのが始まりと伝えられています(金劔宮の神輿は無事に加賀に帰還)。
歴史的な裏付けとしては、治承元年(1177年)、加賀国司・藤原師高(ふじわらのもろたか=近藤師高)の弟で実際に目代(もくだい)として加賀に派遣された藤原師経(ふじわらのもろつね)が、白山寺の末寺を焼いたことに僧兵らが激怒し、白山事件が勃発。
兄弟の悪政に不満を持っていた白山寺の僧兵達は、神輿を担いで、比叡山延暦寺まで追いかけるという騒動に(比叡山には9世紀に白山権現が祀られ、白山寺は延暦寺の末寺に)。
藤原師高・藤原師高兄弟は、院政を敷いた後白河院(後白河上皇)の近臣・西光(藤原師光・ふじわらのもろみつ)の子ということもあり、後白河院と比叡山(天台宗の中心寺院)の対立という構図に。
後白河院は西光の意見を取り入れ、天台座主・明雲の座主職を停止させ、さらに拷問を加えた上に伊豆国に流罪という過酷な扱いをしますが、途中で大衆が奪還し比叡山に帰還という、比叡山弾圧にまで発展します(西光は平家打倒を画策し、平清盛に斬首にされ、院政から平氏政権へと移行します)。
白山神社は、平安時代末期、比叡山と後白河院の対立を今に伝える古社ということに。
その後、江戸時代中期に、後桜町天皇(ごさくらまちてんのう=最後の女帝)の歯痛が治まったことから、歯痛の神様といわれるように。
赤ちゃんのお食い初めの際、白山神社の「長寿箸」(御神箸)に塩を付けて口に含ませると、無病息災が叶うともいわれ、「神箸と神塩」が授与されています。
白山神社(京都) | |
名称 | 白山神社(京都)/はくさんじんじゃ(きょうと) |
所在地 | 京都市中京区麩屋町通押小路下ル上白山町243 |
電車・バスで | 地下鉄京都市役所前駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 白山神社 TEL:075-222-0173 |
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