安祥寺

安祥寺

京都府京都市山科区にある高野山真言宗の寺が、安祥寺(あんしょうじ)。嘉祥元年(848年)、文徳天皇の母・五条后(藤原順子)の発願で、入唐僧・恵運(えうん=最澄、空海、円珍らとともに入唐八家のひとり)が唐の長安・青龍寺から青龍権現を請来して創建したと伝えられる古刹です。非公開寺院で特別拝観時のみ立ち入ることができます。

特別拝観時のみ境内に入り、本尊を拝むことが可能

藤原順子(ふじわらののぶこ)は、嵯峨天皇側近、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の長女で、仁明天皇の寵愛を受け、天長4年(827年)、道康親王(後の文徳天皇)を生んでいます。
『延喜式』(えんぎしき=平安時代中期に律令の施行細則をまとめた法典)では、国家が関与する寺院を、大寺、国分寺、定額寺の三種に区分していますが、安祥寺は定額寺のひとつ。

往時は上寺と下寺に分かれていましたが、上寺はその後衰退し、永和2年(1378年)、東寺の僧・賢宝が台風で倒壊した五大堂を確認し、祀られていた唐の長安・青龍寺から請来した五大虚空蔵菩薩像を見つけ出し、東寺・観智院の本尊に祀っています(五大虚空蔵菩薩像は観智院に現存、国の重要文化財に指定)。

応仁の乱の兵火で下寺も焼失し、一時は廃寺状態となりましたが、第28世政遍が徳川家康に寺の復興を上訴し、慶長18年(1613年)、下寺が再興し、高野山宝性院の門主が当寺の座主を兼務するようになりました。
明治初年の廃仏毀釈の荒波で、寺域は縮小し、明治23年、琵琶湖疏水(第一疎水)の開通で、境内が分断され、南側にあった本坊が北側に移されています。
本尊の十一面観音像(安祥寺の創建以前の作で国の重要文化財)は秘仏で、特別拝観時に観音堂内間近で拝観ができます。
令和4年夏に完成した庭園「蘚苔蟠龍」も見どころのひとつ。

文化14年(1817年)再建の本堂、嘉永6年(1853年)再建の青龍殿、明和9年(1772年)建立の地蔵堂、安永2年(1773年)再建の大師堂、宝暦年間(1751年〜1764年)再建の鐘楼、元禄年間(1688年 〜1704年)再建の本坊表門など江戸時代の建物が現存しています。

大日如来を中心とする金剛界の五仏の木造五智如来坐像(5躯)は、国宝で、京都国立博物館寄託。

安祥寺
名称 安祥寺/あんしょうじ
所在地 京都府京都市山科区御陵平林町22
関連HP 安祥寺公式ホームページ
電車・バスで JR・京都市営地下鉄山科駅、京阪山科駅から徒歩10分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 安祥寺 TEL:075-581-0853
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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