黒書院は、江戸城、二条城などにおける最も日常的な対面の空間。徳川御三家、加賀前田家、越前松平家や老中などとの対面の場となっていました。二の丸御殿入口の車寄から遠侍、式台、大広間、廊下部分の蘇鉄の間を抜けると、黒書院。大広間に比べて少し狭いので江戸時代には小広間とも称されていました。
一の間、二の間は春を感じる空間に

黒書院は、一の間、二の間、三の間、四の間の4間から成り、一の間と二の間は、満開の桜が目を惹くことから「桜の間」と呼ばれていました。
障壁画は一の間が『松柴垣禽鳥図』(まつしばがききんちょうず)、一の間と二の間に金箔のベースに桜を中心に春の景色を描いた『桜花雉子図』(おうかきじず)、墨と淡い彩色を基調に山と水辺の風景を描く『楼閣山水図』(ろうかくさんすいず)で、将軍が和歌や水墨画を嗜むことを公家などに示す意図もあったのだとか。
将軍と対面する人物が、対面所に入る前に控えた部屋と推測できる三の間は、『松図』、『浜松図』で、夏から冬へと移り変わる季節の景が描かれ、二の間に入った瞬間に春を感じる仕様に。
四の間の障壁画は、『秋草扇面散図』(あきくさせんめんちらしず)と『菊図』で、曲線的なススキと扇、直線的な菊という2つを対比させて、秋を描いています。
黒書院の東側には廊下がありますが、こちらも単なる廊下ではなく牡丹の間と呼ばれるように、牡丹と梅を描いた障壁画が飾られています(雲や岩などを手前から奥に配置して奥行きを示す描き方から、徳川家康時代の障壁画の可能性もあるとのこと)。
この黒書院に通され、将軍と対面できるのは御三家など徳川家に近しい大名や高位の公家に限られるので、二条城でも特別な空間ということになります。
実際に黒書院を対面所として使った将軍は、3代・徳川家光、15代・徳川慶喜のふたりです。
家光は関係の悪化した朝廷との折衝に自ら京に赴き、二の丸御殿に滞在して親王などと会見、改善を目指しました。
幕末の徳川慶喜は大政奉還の意向を朝廷側に伝える席をここに設けたのです。
飾られる桜と山水の障壁画は「歴史が動いた瞬間」を目の当たりにしたということに。


| 二条城 二の丸御殿・黒書院(国宝) | |
| 名称 | 二条城 二の丸御殿・黒書院/にじょうじょう にのまるごてん・くろしょいん |
| 所在地 | 京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541 |
| 関連HP | 元離宮二条城公式ホームページ |
| 電車・バスで | 地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門 |
| ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約7.7km |
| 駐車場 | 第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料) |
| 問い合わせ | 二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181 |
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