「卑弥呼の飼い犬」!? 纒向犬を復元、愛称も募集中です

卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国(やまたいこく)畿内説の有力な候補地が、奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。遺跡から2015年1月に犬の骨ほぼ一体分が出土していましたが、桜井市纒向学研究センターは2018年からその復元に取り組み、茶とグレーの色違いの2匹の模型を制作。2025年4月に公表しています。

卑弥呼の愛犬、王宮建設の際のいけにえ!?

纒向遺跡第183次調査時に犬の骨が出土したのは、広大な纒向遺跡のなかでも、「卑弥呼の王宮」ともいわれる3世紀前半では国内最大級の大型建物跡がある居館エリアの区画溝。
大型建物が建つ直前の時期ということで、『魏志倭人伝』に「倭の女王」と記された卑弥呼の治世(卑弥呼は3世紀中頃、西暦248年頃に没したと推測されています)と重なります。

そうした時代背景もあって桜井市纒向学研究センターでは2018年に復元計画を定め、考古学、解剖学、進化生物学などの学際的な研究チームを組織。
まずは骨の3次元レプリカをつくって骨格を組み上げ、不足した骨については亀井遺跡(大阪府八尾市)から1980年に出土した犬の骨を参考にしています(亀井遺跡出土の犬の骨は、大阪府立弥生文化博物館で復元、「カイト」と名付けられています)。

縄文時代の犬より大型ということから、「弥生中期に海を渡ってきた新種」の意味で、公募により「カイト」(海渡)と名付けられたのです。
この「カイト」(海渡)は、弥生時代の墓で、朝鮮半島南部から伝来したと推測される方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ=周囲に溝を築いた方形の墓)の下層から出土しているので、「死者に供えるいけにえ」説が有力です。

纏向遺跡出土の纒向犬(1歳半以上のメス)は、体高48cmで、「カイト」よりも1cmほど大型。
現在の紀州犬や四国犬のメスと同程度の大きさで、柴犬よりはひとまわり大型です。
しかも従来の遺跡から出土する弥生犬と比べると頭が小さく、足と足先が長い華奢(きゃしゃ)な体格のため、朝鮮半島から渡ってきた可能性も大というわけです。
毛色は不明ですが、前後の時代の犬の遺伝情報(ゲノム)から推定し、定めたとのこと。

弥生時代に猫は、骨の出土例から、まだ日本国内では飼育されていなかったと推測されていますが、犬に関しては9500年前の縄文早期から飼われていたことが明らか。
猟犬、番犬として扱われていましたが、今のようにペットといった感覚ではなかったようです。

復元模型は2025年9月28日(日)まで、「桜井市立埋蔵文化財センター」などで展示されるほか、6月30日(月)まで、纒向犬の愛称も募集しています(郵送やインターネットでの応募も可)。
決定は10月頃を予定しています。

この纒向犬、卑弥呼と同じ時代に生き、同じ空気を吸っていた可能性が極めて高いとされ、「卑弥呼の王宮の地鎮祭のいけにえ」ともいわれています。
ひょっとすると朝鮮半島から卑弥呼に贈られたプレゼントだったのかもしれません。

「卑弥呼の飼い犬」!? 纒向犬を復元、愛称も募集中です
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纒向遺跡

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