埼玉県南端に位置する川口市は、荒川を隔てて東京都に隣接。マンホールの絵柄は昭和41年に「市の花」に制定されたテッポウユリ(鉄砲百合)。市内で多くテッポウユリが生産されているということから、市の花に選ばれたものです。
川口市は「植木・花と造園」の町
古くからの地場産業のひとつ、植木や苗木の栽培は、承応年間(1652~1654)に始められたと伝えられ、現在も市の北部、安行(あんぎょう)周辺で植木・苗木・鉢植えの草花の栽培が行なわれています。
「市の花」となったテッポウユリはもともと自生していたものではなく、昭和14年に、風間喜助氏らが沖縄県伊良部島(現・宮古島市)に自生するテッポウユリの球根を買い付けたのが始まり。
伊良部島をはじめ宮古列島ではテッポウユリが自生し、宮古島の南東端、東平安名岬(ひがしへんなざき)では 一面をテッポウユリが覆います。
川口市では、そんなテッポウユリを昭和42年の埼玉国体をきっかけに、昭和41年1月27日に「市の花」にしています。
採用にあたっては多数の候補があげられましたが「研究・協議の結果、他の県・市の花に関係なく、明るく清純で、しかも川口市で広く栽培し愛されている花」が選定の理由になりました。
「植木・花と造園」が伝統産業である川口市内には「川口市立グリーンセンター(植物園)」、「川口緑化センター樹里安」(道の駅川口あんぎょう)、「埼玉県花と緑の振興センター」などがあり、「植木・花と造園」を身近に感じることができます。
ビルが林立する川口駅前からは想像ができませんが、グリーンセンターや峯八幡方面へのバスに乗れば、「植木・花と造園」の町であることが実感できます。
鋳物の町のシンボルはなぜ描かれない!?
川口市といえば、年配の人なら吉永小百合主演のデビュー作・映画『キューポラのある街』(昭和37年公開/監督・浦山桐郎)を上げる人も多いはず。
キューポラはコースクを燃料に鉄を溶かし鋳物(いもの)を作る溶解炉のこと。
川口市の地場産業として鋳物工業が発展、東京オリンピック(昭和39年)の聖火台も市内の鋳物工場で製作されました。
あの聖火台、東京オリンピックの聖火点灯シーンが印象的ですが、実はその6年前、昭和33年5月の第3回アジア競技大会に向けて作られたものだったのです。手がけたのは、川口の鋳物師(いもじ)、鈴木萬之助さん・文吾さん親子。つまりは、昭和37年公開の映画『キューポラのある街』もそんな川口の伝統産業を背景につくられたのです。
屋根から突き出たキューポラは川口のシンボルともなっていました。目下売り出し中の、川口市のゆるキャラ「きゅぼらん」も、キューポラをモチーフにしています。
駅周辺にはマンションが林立
現在、鋳物工場の数も減少し、鋳物工場の跡地には55階建てのタワーマンション「エルザタワー」が建ち、さらにベットタウン化が進んでいます。さらにキューポラは電気溶解炉へと変わって、今や幻の存在に。
それでも、川口のゆるキャラは「きゅぼらん」。川口の伝統産業のもうひとつの柱である鋳物産業の象徴は、なぜマンホールに採用されなかったのでしょうか?
徳川将軍家が日光へと向かった日光御成街道(にっこうおなりかいどう)、その宿場である川口宿、さらには将軍の休泊所になっていた名刹・錫杖寺(しゃくじょうじ)と、歴史的なスポットも数多く、最近ではマツケンこと松平健を呼んでの『川口宿鳩ヶ谷宿日光御成道まつり』(社参行列・川口歴史行列)も行なうほどの力の入れよう。
これだけ地域活性の要素があって、ユリの花一輪というのは、実に奥ゆかしい感じです。
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