【知られざるニッポン】vol.7 「北の小京都」松前で知られざる寺町を歩く(前編)

「北の小京都」といわれるのが、最北の城下町・松前ですが、実は松前の城下町は、往事の町並みがほとんど残っていません。幕末の戊辰戦争(箱館戦争)で新政府側に寝返った松前藩は城下に火を放って逃走。これで、寺町も焼けてしまうのです。ところが、実際は火を放つのを自重した賢い住職が・・・。その結果、素敵な寺町が一部に残されたのです。

幕末に松前藩自ら城下町に火が放たれた

光善寺の山門
光善寺の山門

幕末に松前藩は奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい=陸奥国・出羽国・越後国の東北諸藩が輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主として新政府軍に対抗した同盟)に属していましたが、東北諸藩が新政府(薩長連合)に対して降伏すると、いち早く新政府側につき、北上する旧幕府軍を迎え撃つことになります。

慶応4年(1868年)、土方歳三を総督とする旧幕府軍の攻撃を受けた福山城(松前城=以下は松前城と記します)は、軍備も旧式で、蟠竜丸(木造スクーナー型蒸気船)・回天丸(木造外輪式の蒸気船)などからの砲撃などであっけなく落城となります。
このときに松前藩側は城下に火を放って逃走。寺町の各寺にも火を放つことを強要しますが、一部の住職はこれを受け流し、火を放つのを自重します。こうして今もこの一角だけが実は往事と同じようなたたずまいをみせています。

朝陽丸を撃沈する蟠竜丸(箱館湾海戦)
朝陽丸を撃沈する蟠竜丸(箱館湾海戦)

実は寺町はアイヌと対峙していた中世松前の防御線

「実は寺町は松前城(福山館=ふくやまだて)を築くときに、山側の防備を固めるために天守閣の山側に寺を配したものです。これは中世には対峙する敵がアイヌだったことを物語っているそうです」と解説するのは、寺町を案内してくれた松前の「温泉旅館矢野」の若女将、杉本夏子さん。

松前という地名はアイヌ語の「マツ・オマ・イ」(婦人・居る・ところ=永田地名解)に由来。つまり、先住民であるアイヌが住む地に、和人の女性が共存したという珍しい状況を表している地名です。
松前から上ノ国にかけては、北海道では最初に和人が定住した場所です。1606(慶長11)年に福山館(城)を築城する前にはアイヌと和睦しているので、近世では対アイヌの防御というより、城の鬼門守護という色彩が強かったのかもしれません。

ちなみに松前城のできる前の、中世的な山城の大館は、松前城のほぼ北700~800mほどのところにありましたから、こちらはアイヌから守るという中世的な意味合いも強かったと思われます。

「温泉旅館矢野」の若女将、杉本夏子さん
「温泉旅館矢野」の若女将、杉本夏子さん

光善寺にまずは参詣したい

さてさて肝心の寺町です。その中心的な存在は、国指定史跡の松前藩主松前家墓所ですが、歴代の藩主の墓が並んでいるだけで、面白みには欠けます(キリシタン信仰と関係があるとされる織部灯籠などもありますが)。

注目の寺は、光善寺(高徳山千嶋教院光善寺)。
寺伝によれば光善寺は、天文2年(1533年)に建立された浄土宗の寺です(創建時は高山寺で元和7年光善寺と改称)。松前城の前身、福山館が築かれるのが1600年(慶長5年)。蠣崎姓をアイヌ語のアイヌ語の「マツ・オマ・イ」を漢字に直して松前にして、松前慶広(まつまえよしひろ)を名乗ったのも家康に所領を安堵されてからですが、光善寺はそれ以前の室町時代の開山。家康が生まれたのが天文11年(1542年)ですから、家康が生まれる9年も前に開山したことになります。

光善寺境内に「義経山の石碑」という不思議な石碑があり、「無事に蝦夷地に上陸した義経は、神仏に深く感謝、 阿弥陀千体仏を刻んで安置」との伝承から「義経北行伝説」の一部にもなっています。つまり義経ゆかりの寺が義経山欣求院で、明治の神仏分離・廃仏毀釈と戊辰戦争の戦火という荒波のなかで義経山欣求院は焼けてしまい光善寺に合祀されたと伝えられています。

その光善寺、実は松前を代表する桜の品種「南殿(なでん)」の親木となる血脈桜(けちみゃくさくら)の寺として有名で、桜シーズンには多くの観光客がやってきますが、それ以外はほとんど訪れる観光客がありません。逆にいえば、「桜の寺」としてのみ注目されているにすぎないのです。

本堂などは近年の再建ですが仁王門と山門は箱館戦争の戦禍を免れて現存しています。現存する朱色の山門・仁王門は宝暦2年(1752年)の建立で、その先にある中国風の鐘楼門(弘化4年築)とともに、ここが北海道であることが信じられないくらいに京都的です。

光善寺一帯は道内唯一の近世的な寺町として「福山(松前)城と寺町」として北海道遺産にも認定されているのですが、あまり注目されていないまだまだ穴場的な存在になっています。

光善寺境内にある「義経山」の石碑
光善寺境内にある「義経山」の石碑
光善寺山門には「北海道場」の額もかかる
光善寺山門には「北海道場」の額もかかる
光善寺
名称 光善寺/こうぜんじ
所在地 北海道松前郡松前町松城303
電車・バスで JR木古内駅から函館バス松前バスターミナル行きで1時間29分、松城下車、徒歩8分
ドライブで 函館空港から約103km
駐車場 松前城内寺町共同駐車場(200台/無料)
問い合わせ 光善寺 TEL:0139-42-2680
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【知られざるニッポン】vol.7 「北の小京都」松前で知られざる寺町を歩く(後編)

2016年10月2日

 

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

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