鍵屋の辻史跡公園

鍵屋の辻史跡公園

三重県伊賀市の伊賀上野城下、伊勢街道と奈良街道の分岐点に位置する公園が鍵屋の辻史跡公園。寛永11年11月7日(1634年12月26日)に行なわれた日本三大仇討ち(曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入り)の一つ、渡辺数馬、荒木又右衛門らの「鍵屋の辻の決闘」の舞台となった場所です。

日本三大仇討ち、「鍵屋の辻の決闘」の舞台

鍵屋の辻
左が伊勢街道、右が奈良街道の分岐

史実は、岡山藩主・池田忠雄が寵愛した小姓・渡辺源太夫に藩士・河合又五郎が横恋慕して関係を迫りますが断られた腹いせに源太夫を殺害したことに始まるという、きっかけは単なる愛憎劇。

渡辺源太夫の兄・渡辺数馬は、姉婿の郡山藩剣術指南役・荒木又右衛門(あらきまたえもん)に助太刀を依頼します。
奈良の隠れ家から江戸へ逃れようとする河合又五郎を伊賀上野の鍵屋の辻で待ち伏せ、仇討ちを果たすという事件。

仇討ちを主導した荒木又右衛門は庶民から賞賛され、渡辺数馬、荒木又右衛門、門弟の岩本孫右衛門は伊賀上野の藤堂家に4年間預けられ、さらに鳥取藩に引き取られていますが、荒木又右衛門は鳥取到着の17日着に死去しています(その死については毒殺説、生存隠匿説などがあり、定かでありません)。

伊賀越の仇討ちとも呼ばれる江戸時代の大事件で、安永6年(1777年)に歌舞伎『伊賀越乗掛合羽』(いがごえのりかけがっぱ)が上演、天明3年(1783年)、『伊賀越道中双六』(いがごえどうちゅうすごろく)が上演されています。

長谷川伸、山手樹一郎、岡本綺堂の小説を原作に映画も数十本が制作されています。

一帯は公園として整備され、園内には「史蹟鍵屋ノ辻」の標柱、伊賀越復讐記念碑、伊賀越資料館、河合又五郎首洗供養地蔵池や数馬茶屋があります。
鍵屋の辻の決闘の際、荒木又右衛門たちは茶屋「萬屋」で待ち伏せたとあり、数馬茶屋はその現代的な復元です。

鍵屋の辻史跡公園
名称 鍵屋の辻史跡公園/かぎやのつじしせきこうえん
所在地 三重県伊賀市小田町1338
関連HP 伊賀市公式ホームページ
電車・バスで 近鉄西大手駅から徒歩5分
ドライブで 名阪国道上野東ICから約2.6km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 伊賀市建設部都市計画課 TEL:0595-43-2314/FAX:0595-43-2317
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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