江戸や大坂など、伊勢を目ざす長旅の人をもてなしたのが、伊勢の鰻。関東、関西の両方の旅人を納得させるために東西融合の独特の料理法を編み出したのだという。それを今に伝えるのが外宮前の「喜多や」です。使ううなぎは地元産というわけにはいきませんが、ブランド鰻の三河一色産の活鰻を、地下水で締めて使い、備長炭で焼くというこだわりです。
「伊勢まぶし」の鰻丼を味わいたい
鰻には串を打たずに箸で焼き、余分な脂を落とし臭みを抜くため皮を切り、そして白焼きの後、予熱で蒸し上げるというのは、伊勢流を超越した、「喜多や」店主・西村隆明流。
当主の西村隆明さんで3代目という老舗。
江戸時代におかげ参りの大ブームで、東西から旅人が集まった伊勢。
蒸さない直焼きの西国、蒸して柔らかいのを好む東国の旅人では、こと鰻料理に関しては大きく意見が分かれるところ。
東西の旅人がともにうなづき、納得する調理法は、この伊勢と諏訪(中山道下諏訪宿界隈=「うなぎ小林」)で編み出されています。
まず、ウロコの層と皮の2層になっている鰻の皮の、外側のウロコの層を箸先で切ります。
「丁寧に箸でウロコを取り除けば、鰻独特の生臭さがなくなります」(店主・西村隆明さん)。
備長炭で焼いた上に(串をうたずに箸で焼きます)、代々伝わる木箱に白焼きを入れ、蒸らします。
鰻丼にはタレがご飯にまぶされているのも特徴。
伊勢の鰻屋のご飯は、白ごはんをタレで混ぜ合わせたもの。
これが東西融合文化の伊勢に根付く「伊勢まぶし」なのです。
余談となりますが、この店、戦前に関西大学野球部、そして大阪タイガース(現・阪神タイガース)の全盛時代を築いた投手・西村幸生(にしむらゆきお)の生家。
昭和12年・13年の両年、日本選手権で沢村擁する巨人に勝ち、連続優勝した時の主戦投手が西村幸生です(昭和20年4月3日、フィリピン島バタンガスにて戦死、昭和52年に野球殿堂入り)。
喜多や | |
名称 | 喜多や/きたや |
所在地 | 三重県伊勢市本町10-13 |
関連HP | 喜多や公式ホームページ |
電車・バスで | JR・近鉄伊勢市駅から徒歩10分 |
ドライブで | 伊勢自動車道伊勢西ICから約2km |
駐車場 | 12台/無料 |
問い合わせ | 喜多や TEL:0596-28-3064 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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