勾当台公園

勾当台公園

仙台市の中心部、南に定禅寺通り、北に宮城県庁、仙台市役所に挟まれた都市公園が勾当台公園(こうとうだいこうえん)。『全日本大学女子駅伝対校選手権大会』(杜の都駅伝)のゴール、『定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台』、『仙台・青葉まつり』の会場のひとつにもなるなど、勾当台公園は様々なイベントの会場になります。

藩校「養賢堂」の跡地が「歴史のゾーン」に

勾当台公園

江戸時代初めに狂歌師・花村勾当(はなむらこうとう)の屋敷があった高台というのが名の由来です。
1761(宝暦11)年、藩校「養賢堂」がこの地に移転し、その北側には通りの名の由来で、仙台城の鬼門封じの定禅寺も建っていました。

明治維新で定禅寺も後ろ盾となる仙台藩を失い、廃仏毀釈の荒波にも勝てず明治6年に廃寺に。
藩校「養賢堂」の跡地とともに仙台県庁舎などの行政機関や仙台鎮台病院(現・国立病院機構仙台医療センター)に変わりました。

昭和20年7月10日の仙台空襲で一帯は焼け野原となり、昭和21年に公園とする都市計画が決定。
昭和31年に勾当台公園が開園しました。

園内は、志賀潔胸像、谷風像の立つ「いこいのゾーン」、仙台藩藩校「養賢堂」の跡地で林子平像の立つ「歴史のゾーン」、「にぎわいのゾーン」に分かれています。
谷風梶之助(2代目)は、陸奥国宮城郡霞目村(現・宮城県仙台市若林区霞目)の大相撲力士。
江戸時代の大横綱で、1778(安永7)年3月場所初日から1782(天明2)年2月場所7日目まで63連勝、さらに43連勝を記録。
1795(寛政7)年1月9日、江戸に猛威を奮ったインフルエンザで、35連勝のまま病没。
「わしが国さで見せたいものは、むかしゃ谷風、いま伊達模様」(仙台の俚謡)。

勾当台公園には、谷風像が設置され、新横綱が誕生した後、最初に行われる仙台巡業の際には、谷風像の前にて新横綱が土俵入りを奉納するのが恒例となっています。

勾当台公園
「いこいのゾーン」に立つ谷風像

 

勾当台公園
名称 勾当台公園/こうとうだいこうえん
Kotodai Park
所在地 宮城県仙台市青葉区本町3-9-2
関連HP 仙台観光情報サイト
電車・バスで 仙台市営地下鉄勾当台公園駅下車すぐ
ドライブで 東北自動車道仙台宮城ICから約6km
駐車場 勾当台公園地下駐車場(214台/有料)
問い合わせ 仙台市青葉区公園課 TEL:022-225-7211/FAX:022-211-0016
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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