晩翠草堂

晩翠草堂

宮城県仙台市青葉区、仙台市の中心街にあるのが、『荒城の月』の作詞で有名な土井晩翠の文学館が晩翠草堂。土井晩翠が最晩年に過ごした邸宅を再生したもので、昭和20年7月10日の空襲で焼けた後、昭和24年に再建した建物です。

土井晩翠が晩年暮らした家を保存

土井晩翠
晩年の土井晩翠

土井晩翠は、明治4年10月23日(1871年12月5日)、北鍛治町(現・宮城県仙台市青葉区木町通2丁目)の富裕な質屋の長男として生誕。
明治34年に『中学唱歌集』に収録された『荒城の月』は、土井晩翠が、慣れ親しんだ仙台城と、修学旅行で訪れた鶴ヶ城の落城をイメージして作詞したもの(作曲は滝廉太郎で大分県竹田市の岡城がモチーフとされています)。

晩翠草堂として再生される土井晩翠旧宅は昭和24年から亡くなった昭和27年10月19日まで暮らしていた家。
仙台空襲では、住居とともに3万冊に及ぶ蔵書も失っていますが、晩翠が生前愛用していたベッドなどが残されています。

仙台城の本丸跡には『荒城の月』歌碑も立っています。

晩翠草堂
名称 晩翠草堂/ばんすいそうどう
所在地 宮城県仙台市青葉区大町1-2-2
関連HP 仙台市公式ホームページ
電車・バスで 仙台市地下鉄東西線青葉通一番町駅から徒歩5分
駐車場 なし
問い合わせ 晩翠草堂 TEL:022-224-3548
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
仙台城本丸跡・『荒城の月』歌碑

仙台城本丸跡・『荒城の月』歌碑

宮城県仙台市青葉区、伊達政宗の騎馬像で有名な仙台城本丸跡ですが、騎馬像近くにあるのが『荒城の月』歌碑と土井晩翠(どいばんすい)の胸像。瀧廉太郎の作曲で有名な『荒城の月』は、仙台出身の詩人、土井晩翠の作詞で、仙台城(青葉城)、会津若松の鶴ヶ城

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ