『見高式三番叟』(みたかしきさんばそう)は、江戸時代に見高出身の江戸歌舞伎の名優4代目・市川小團次から指導をうけた村の青年有志が旧庁屋で『式三番叟』を上演したのが始まり。見高地区には今でも回り舞台のついた見高神社の神楽殿が貴重な建築物として残っており、毎年10月22日・10月23日に『式三番叟』が奉納されます。
江戸歌舞伎の名優4代目・市川小團次が指導
なぜ10月22日・23日かといえば見高神社の祭礼だから。昔々、耳高大明神が大きな松の根元で使いの白牛から降りて、翁に「皆仲良くすれば、繁栄と加護を約束する」と諭(さと)しました。その間、白牛は長い舌で翁の顔や手足をベロベロなめたのだとか。白牛にまたがった神様は天に昇ってしまいましたが、これが10月23日のこと。以来、見高の人は、牛の舌の形の餅をつくり見高神社にお供えをする風習が生まれ、今でもその「舌べら餅」が伝わっています。
「聞耳」の鋭い神様、耳高大明神から耳高神社だったのですが、いつの間にか見高神社に転訛したのだそうな。
静岡県、とくに伊豆半島には旧大仁町(現・伊豆の国市)や松崎町など各地に『三番叟』(さんばそう)が伝承されています。江戸時代中期から盛んに行なわれるようになったと推測されています。
能が成立する以前の翁猿楽(老人の面を付けた神が踊り語って祝福を与えるという芸能)の様式を留める芸能が式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、舞事が三番叟というわけです(天下泰平を祈る儀礼曲『翁』の後半部分)。
室町時代以降は、千歳(せんざい)、翁、三番叟の3人によって演じられる祝福舞のことを指すようになりました。
『式三番叟』が演じられるのは「回り舞台」のついた神楽殿で、4代目・市川小團次の養子で、明治の名優初代市川左團次の指導のもと完成した貴重な建築物です。引幕は江戸情緒ゆかしい歌舞伎引幕。
4代目の市川小團次は、文化9年(1812年)、伊豆国賀茂郡見高村(現河津町)に生誕。江戸に出て日本橋で暮らし、魚問屋本牧屋に奉公しますが母の失踪で芝居の世界へ。伊勢松阪から名古屋方面の子供芝居に出演。さらに大坂で芝居をしますが、1843年(天保14年)、天保の改革のあおりで江戸所払いとなった幡谷重蔵(7代目市川團十郎)が来坂。その門下となり4代目市川小團次を襲名します。1848年(弘化5年)、江戸に下り、『石川五右衛門』、『与話情浮名横櫛』(切られ与三)などが人気となって江戸を代表する役者となります。
実子に大坂で活躍した初代市川右團次と、明治に活躍した五代目市川小團次、養子には明治の名優初代市川左團次と初代市川荒次郎がいます。
10月22日(夜の部18:30〜)、10月23日(昼の部11:00〜)。
10月22日の夜の部には見高の浜から見高神社まで灯篭に灯(ひ)が灯り、幻想的です。
見高式三番叟(河津町) | |
開催日 | 10月22日〜10月23日 |
開催時間 | 10月22日19:00〜 10月23日11:00〜 |
所在地 | 静岡県賀茂郡河津町見高563 |
場所 | 見高神社 |
電車・バスで | 伊豆急行今井浜海岸駅から徒歩13分 |
問い合わせ | 河津町観光協会 TEL:0558-32-0290 |
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