上高地(かみこうち)のシンボル・河童橋から梓川の左岸沿いを上流へ、徒歩1時間あまり。明神池(標高1520m)は一之池と二之池、大小2つからなる池。池畔には穂高神社奥宮が鎮座する神域で、鏡池、神池とも呼ばれます。毎年10月8日には明神池で、穂高神社奥宮例大祭(お船祭り)が行われます。
池の畔には穂高神社奥宮が鎮座
明神池は梓川の古い流路が、明神岳(2931m)から崩落する砂礫や土砂によってせき止められてできたせき止め池です。明神岳から常に伏流水が湧き出ているため、冬でも全面凍結しない透明感あふれる水面は、空を映し出してまさに神域らしい静寂に広がります。
上高地は古くから、神降地、神合地、神垣内、神河内などとも呼ばれ、神々を祀るにもっともふさわしい神聖な場所。まさに穂高神社は北アルプスの総鎮守として鎮座するのです。
穂高神社は里宮が安曇野市の穂高にありますが、奥宮が明神池の畔、そして奥穂高岳(標高3190m)の山頂に嶺宮が鎮座しています。
奥穂高岳は富士山、北岳(3192m/南アルプス)に次ぐ、日本第3位の高峰で、北アルプスでは最高峰。北アルプスの総鎮守としてふさわしい場所です。
穂高神社を祀った古代の海人族・安曇氏(あずみうじ=阿曇氏)は、現在の福岡県志賀島の志賀海神社(しかうみじんじゃ)が発祥地。
玄界灘や北九州を中心として栄えた海人族が、北陸または渥美半島(愛知県/あつみは安曇の転化という説があります)から安曇野に入植、開拓したと伝えられます。
主祭神は、穂高見命(ほたかみのみこと)ですが、この神様は、安曇氏の祖神・綿津見命(わたつみのみこと)の子、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)。
毎年10月8日には明神池に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ/鷁=鵜に似た白く大型の水鳥)の御船を浮かべ、一年の山の安全を祈願する平安朝の神事である『御船祭』が斎行されますが、これも安曇氏が古代に大海原を駆けた海人族だった名残りだとか。
池の畔には名ガイド・上條嘉門次ゆかりの小屋も
ウォルター・ウェストンが日本アルプスを探検する際、ガイドとして雇った上條嘉門次(かみじょうかもんじ)は、明治の初めから明神池の畔に小屋を建て、夏はイワナ、冬場にはカモシカ、クマなどを獲って生活していました。
現在ある嘉門次小屋は、嘉門次没後の大正14年、嘉門次の息子・上條嘉代吉の妻が創業したもの。国の登録有形文化財に登録されています。
昭和2年、昭和天皇の実弟・秩父宮雍仁親王は、上高地から奥穂高岳に登り槍ヶ岳へと縦走を行なっています。
その秩父宮殿下は、明神池に遊んでいます。
大正12年の槍ヶ岳登山の際には梓川が増水で渡ることができずに、田代池見物でお茶を濁しています。
「穂高神社を過ぎて、明神池に出て、イワナ釣に半日遊ぶ。常さん、庄さんは早速糸を垂らして妙技を競う。遠く近くゆうゆうと泳ぎ廻っているのが、足音や人の影に平和の世界を破られて、驚いてツツツーと、あちこちに散って藻の下にひそむと、又、何処からともなく泳いで来る。庄さん常さん早くも一尾、二尾と釣り上げる。僕も見ていられなくなって竿を借り向かいの木蔭に行く。毛針を使うので仲々六カ敷い(むずかしい)。」(『山の旅』)
明神池 | |
名称 | 明神池/みょうじんいけ |
所在地 | 長野県松本市安曇上高地 |
関連HP | 上高地観光旅館組合公式ホームページ |
電車・バスで | 松本電鉄新島々駅から松本電鉄バス上高地行きで1時間10分、終点下車、徒歩1時間 |
ドライブで | 長野自動車道松本ICから約33kmで沢渡地区駐車場。路線バス・タクシーで上高地へ(マイカー規制実施中)。上高地バスターミナルから徒歩1時間 |
駐車場 | 沢渡地区駐車場(2125台/有料) |
問い合わせ | 松本市山岳観光課 TEL:0263-94-2307/FAX:0263-94-2567 |
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