延岡市を流れる行縢川(むかばきがわ)にかかる日本の滝百選に選定の名瀑が行縢の滝(むかばきのたき)。落差76.7mで、駐車場から山道を30〜40分ほど歩けば滝壺近くに到達します。標高829.9mの行縢山(むかばきやま)は、真言密教の修験の地。行縢の滝は中世、修験者の修行に利用されていた聖地だったのです。
行縢川にかかる「日本の滝百選」に選定の名瀑
滝入口近くに鎮座する行縢神社は、718(養老2)年、熊野権現を勧請して創建と伝わる古社(別当だった大日寺は現存しません)。
全山に奇岩絶壁がそそり立つ行縢山地は、古代の人々が畏怖したのがわかる地形です。
滝も遠くから眺めると岩壁(稜線)からいきなり水が湧き出したようなイメージで、驚くほどの大迫力。
1164 (長寛2)年、源為朝(みなもとのためとも)が九州平定に際して、行縢神社に武運長久を祈願したという言い伝えも残ります。
行縢神社のさらに先にある駐車場から行縢山への登山道を歩き、途中の分岐から滝を目指すので、歩きやすい格好と足回りが必要。
途中には岩場もあるので、できれば登山靴、トレッキングシューズの用意を。
ちなみに行縢(むかばき)とは、狩猟や旅行の際に両足の覆いとした 布帛(ふはく)や毛皮の類のこと。
行縢山は西の雄岳(830.7m)、東の雌岳(809m)からなる双耳峰。
その険しい2つの岩峰の間に行縢川が流れ、滝が落ちるのです。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ=記紀神話に登場する、九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる人々/『魏志倭人伝』に記載の狗奴国とする説も)を征伐する際に、山の形が行縢に似ていることから命名したと伝承されています。
急峻な岩峰の行縢山は、川上梟帥(カワカミノタケル)という熊襲の首長の砦で、宴会に乗じて、日本武尊が川上梟帥を殺害したという神話が残されています。
大崩山の花崗岩は、1400万年前に地下にあったマグマだまりが冷えて固まったもの。
長い年月の間に浸食をうけて花こう岩が、露出したものです。
さらに大崩山花崗岩体をとりまくように、花崗斑岩の岩脈が延長40kmの弧状となって分布しています。
花崗岩の貫入により大崩山が形成された後、花崗斑岩の貫入によって行縢山、可愛岳などの環状岩脈(リングダイク)が形成たのです。
大崩山を取り囲んで、まるで城壁のような環状岩脈は、(神話や伝承が事実とすれば)まさに熊襲の砦には絶好の地だったのです。
そんな大崩山、行縢山の地質に関しては、宮崎県総合博物館(宮崎市神宮2丁目)で解説されています。
行縢の滝 | |
名称 | 行縢の滝/むかばきのたき |
所在地 | 宮崎県延岡市行縢町 |
関連HP | 延岡観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR延岡駅から宮崎交通バス行縢山行きで27分、行縢山登山口下車、徒歩40分 |
ドライブで | 北方延岡道路舞野ICから約8km |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 延岡観光協会 TEL:0982-29-2155 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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