運河水辺公園(利根運河)

運河水辺公園(利根運河)

千葉県流山市、利根運河の運河橋周辺の水辺、2.4haを整備した公園が運河水辺公園。利根運河(開通時は派川利根川)は、利根川と江戸川を結ぶ長さ8.3km、幅18mの運河で日本初の西洋式運河(野田市、流山市、柏市の3市を通過)。土木学会選奨の「土木遺産」、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されています。

利根運河の水辺を公園に再生

利根運河は、明治19年、オランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデル(Anthonie Thomas Lubertus Rouwenhorst Mulder/三角港の築港で活躍)の設計で着工し(利根運河株式会杜が施工・運営)、延べ220万人の人力作業で明治23年6月18日に開通。

当時関宿(せきやど)を迂回していた銚子~東京間の舟運は約50km、6時間短縮されています。
東京により近い野田は、明治初期まで製品出荷の物流面で銚子に比べ優位に立っていたので、銚子の醤油醸造所にとって、利根運河の開通は悲願だったのです(並行して銚子の十三代田中玄蕃らは総武鉄道を創立し、鉄道輸送も開始しています)。

明治28年には東京~小名木川~江戸川~利根運河~利根川~銚子という直行便(所要18時間)も運航されています。

昭和16年に国が買収するまでは、利根運河株式会社が管理(通航料を徴収)し、利根運河大師の勧請や桜並木の植樹も行なっています。

後に鉄道・道路網の発達(完成6年後に日本鉄道土浦線開通)や水害で衰退しましたが、昭和16年に国が買収、利根川の洪水調節路となりましたが、その後、利根川と運河の接点も埋め立てられ、利根運河は完全にその使命を終えました。
昭和50年に、導水路として復活し、平成2年に利根運河通水100年を記念して、正式な名称も「派川利根川」から「利根運河」に改められています。

昭和61年5月31日に開園した、運河水辺公園は野鳥が飛び交う自然の宝庫で、園内の運河には2ヶ所の浮き橋も用意、利根運河碑(明治41年建立)、ムルデル顕彰碑(昭和60年建立)も立っています。
桜160本が植栽され、例年3月下旬~4月上旬の見頃の時期にはライトアップも実施。

運河沿いにはハイキングコース、サイクリングコースが整備されています。

運河沿いには利根運河交流館、利根運河大師、舟運を輸送に利用した窪田酒造(明治5年創業)、窪田味噌醤油(大正14年創業)などもあります。

経済産業省の近代化産業遺産は、「激しい産地間競争等を通じ近代産業へと発展した利根川流域等の醸造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として野田市の醸造関連遺産(キッコーマン煉瓦倉ほか)、銚子市の醸造関連遺産(竜の井、通称「玄蕃井戸」)、神崎町の醸造関連遺産(フジハン醤油)とともに選定されています。

運河水辺公園(利根運河)
名称 運河水辺公園(利根運河)/うんがみずべこうえん(とねうんが)
所在地 千葉県流山市東深井368-1
関連HP 流山市公式ホームページ
電車・バスで 東武野田線運河駅から徒歩5分
ドライブで 常磐自動車道流山ICから約4.9kmで運河橋
駐車場 なし
問い合わせ 流山市まちづくり推進部みどりの課 TEL:04-7150-6092/FAX:04-7158-9777
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
利根運河交流館

利根運河交流館

千葉県流山市の利根運河沿いにある利根運河に関する情報発信を積極的に行なっている資料館が、利根運河交流館。江戸川と利根川を結ぶ運河として明治23年に開削され、東京の物流に革命を起こした利根運河。利根運河沿いの流山街道近くに建つのが交流館は、流

 

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