和田浦の花畑

和田浦の花畑

千葉県南房総市和田町花園にある菜の花などの花畑が和田浦の花畑。有名な寒桜の名所、抱湖園(ほうこえん)を築いた間宮七郎平(まみやしちろうべえ)の尽力もあって、和田浦は温暖な気候を生かして花卉栽培が盛ん。花の見頃は12月下旬~5月上旬と長く、花摘みも楽しめます。

南房総の花卉栽培発祥の地

和田浦の花畑

大正8年に北条線(現在の内房線)が北条駅(現・館山駅)まで開通し、その翌年、和田浦駅まで延伸したことで、市場である東京に切り花を出荷し、半農半漁の和田浦(当時は安房郡和田町)は花卉(かき)の一大生産地へと発展します。
和田村(当時)に生まれた間宮七郎平は、薬剤師を目指して勉学に励み、薬草の研究や栽培をしているうちに観賞用の花の需要に気付き、花園で花作りを開始し、荷車で北条駅(現・館山駅)まで寒菊を運び、大正9年から東京に出荷。
当時、半農半漁だった和田町(当時)の人は、「花が生活の糧になるか」と笑いましたが、間宮七郎平の熱意は多くの人たちの心を動かし、大正12年には、和田町に花組合が生まれています。

南房総では花卉の栽培が盛んですが、実はその発祥地が和田浦(南房総市和田町花園)なのです。

和田浦は花卉の栽培技術も高く、花の展覧会で農林水産大臣賞を受賞することもしばしば。
栽培されるのは、キンセンカ、矢車草、カーネーション、ストック、アイリス、菜の花など。
南房総でも春の訪れが早く、12月には菜の花が咲き出します。
時季によって花摘みの値段は異なりますが、ハウス、露地とも一部の畑で花摘みが可能。

南房総市の花摘みのできる花畑は、和田浦のほか、千倉(白間津、平磯)、富浦が有名です。

田宮虎彦の小説『花』、映画『花物語』の舞台

田宮虎彦の小説『花』は、太平洋戦争末期、和田浦を舞台に非国民といわれながらも、水仙の球根を、山の奥の人目に付かない杉林に隠し、善兵衛畑の花を守り愛した実在の女性、川名りんの姿を描いたもの。
川名りんは、「花は口で食べることはできないけれど、口で食べるものだけが食べ物ではないの。心で食べるものがなくなってしまったら、心は生きてゆけなくなってしまうのよ」と語ったとか。

国は食糧生産を農政の第一目標として定め、千葉県と長野県は、花が禁止作物に指定され、花の苗や種は残らず焼却し、忠君愛国を唱える翼賛壮年団らが畑や納屋を見回ったのです。

『花物語』(昭和64年、監督・堀川弘通、主演・高橋惠子)の名で映画化もされ、真浦地区で山を開いて畑にした真浦天畑 (もうらてんばたけ)は、映画のロケ地(平成20年に真浦天畑保存会が結成され、真浦神社裏手にお花畑が復活)。

和田浦の花畑
名称 和田浦の花畑/わだうらのはなばたけ
所在地 千葉県南房総市和田町花園
関連HP 南房総市公式ホームページ
電車・バスで JR和田浦駅から徒歩20分
ドライブで 富津館山道路富浦ICから約20km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 南房総市観光協会 TEL:0470-28-5307
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

抱湖園

千葉県南房総市の和田地区は南房総における花卉(かき)栽培の発祥の地。明治26年、朝夷郡和田村に生まれた間宮七郎平(まみやしちろうべい)が花畑の裏山の貯水池周辺を開墾し、開いたのが抱湖園で、その時植えた寒桜が、旧暦の元旦に咲くことから元朝桜と

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