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生目三号墳(生目古墳群)

生目三号墳

宮崎県宮崎市の大淀川右岸の台地上にある生目古墳群(いきめこふんぐん)最大の古墳が生目三号墳。墳長137mの前方後円墳で、宮崎県でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳、男狭穂塚古墳に次いで3番目の大きさ。生目古墳群は、古墳時代前期から中期にかけての九州最大の古墳群で、生目古墳群史跡公園として整備されています。

4世紀、九州で最大の首長がここに君臨!

前方後円墳7基、円墳36基の計43基の古墳が国の史跡に指定されています(生目古墳群史跡公園内には、前方後円墳8基、円墳25基)。
なかでも生目三号墳は、4世紀中頃(古墳時代前期)では九州最大の前方後円墳(同時期の西都原古墳群では墳丘長80m程度)。
往時には表面が葺石で覆われていたことがわかっています。
しかも墳丘に立ち入ることができる古墳としては九州で最大の前方後円墳です。

生目古墳群は、古墳時代前期の4世紀前半に前方後円墳の21号墳(墳長36m)が最初に築造され、4世紀代には三号墳、22号墳(墳丘長101m)、一号墳(墳丘長130m)などの当時、九州一となる巨大な前方後円墳が建造されています(100m以上の前方後円墳が3基もあるのは九州ではここだけです)。
4世紀には西都原古墳群よりも大型の前方後円墳を築造していることから、ヤマト王権(畿内)と密接な関係を保有した南九州の盟主的な首長がここに君臨していたことが想像できます。

生目古墳群は、西都原古墳群などとともに日本遺産「南国宮崎の古墳景観 -古代人のモニュメント-」の構成資産になっているほか、南九州の古墳文化(南九州の古墳群)として地元・宮崎県では世界遺産登録を目指しています。

生目三号墳(生目古墳群)
名称 生目三号墳(生目古墳群)/いきめさんごうふん(いきめこふんぐん)
所在地 宮崎県宮崎市跡江
関連HP 宮崎市公式ホームページ
電車・バスで JR宮崎駅からタクシーで18分
ドライブで 東九州自動車道宮崎西ICから約4km
駐車場 生目古墳群史跡公園駐車場を利用
問い合わせ 宮崎市教育委員会文化財課 TEL:0985-47-8012
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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