奈良県奈良市にある真言律宗の古刹が海龍王寺。天平3年(731年)の創建と伝えられ、光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡=現在の法華寺あたり)の北東隅に(あるいは平城宮の東北隅に)建てられたことからもとは隅寺(すみでら)と呼ばれていた、平城京、光明皇后ゆかりの名刹。
平城京の宮廷寺院を前身とする名刹
飛鳥時代に毘沙門天を本尊として建立された寺を、天平3年(731年)、光明皇后が再建。
東二坊大路が寺を避けて通っていることから、平城京ができる以前に寺があったことがわかります。
天平7年(735年)、遣唐使の船団が、暴風により遭難、海龍王経を唱えた高僧・玄昉(げんぼう)が種子島に漂着して無事5000巻の一切経と諸々の仏像を持ち帰ることができたことから、隅寺に海龍王寺の寺号を与えたと伝えらています。
玄昉は初代住持となり、唐の都に倣って、平城宮内道場と定めて宮中の仏堂とし、聖武天皇や光明皇后のための祈祷、遣唐使の航海安全祈願も営んだのです。
空海(弘法大師)が延暦23年(803年)の唐留学の際、航海の安全を祈願したことから、今も留学や渡航の安全祈願に訪れる人が多いのが特徴。
鎌倉時代に真言律宗の寺となっていますが応仁の乱で衰退。
発掘調査で中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂、西金堂の3つの金堂があったことが判明し、本堂南西の西金堂は創建当時からの建物で(鎌倉時代に大修理を受けています)、国の重要文化財。
堂内にある高さ4mの五重塔のミニチュアサイズである五重小塔は国宝。
中金堂の旧地には本堂が建ち、東金堂は明治時代初期の廃仏毀釈の荒波で失なわれ、再建されていません(奈良には廃仏毀釈が吹き荒れ、昭和28年まで無住の状態が続きました)。
鎌倉時代に、西大寺の中興の祖・叡尊により造立されたと伝わる経蔵は国の重要文化財。
本尊の木造十一面観音立像、そして木造文殊菩薩立像は、ともに鎌倉時代の作で国の重要文化財。
海龍王寺 | |
名称 | 海龍王寺/かいりゅうおうじ |
所在地 | 奈良県奈良市法華寺町897 |
関連HP | 海龍王寺公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄新大宮駅から徒歩15分。またはJR・近鉄奈良駅から奈良交通バス大和西大寺駅・航空自衛隊前行きで法華寺前下車、徒歩すぐ |
ドライブで | 京奈和自動車道木津ICから約4.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 海龍王寺 TEL:0742-33-5765/FAX:0742-34-7443 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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