奈良県生駒郡斑鳩町三井にある聖徳宗の古刹、法輪寺。法隆寺東院の北方に位置し、聖徳太子の病気平癒を願った山背大兄王(やましろのおおえのおう)の創建と伝えられる寺で、遠方からも眺められる法輪寺・三重塔は斑鳩三塔(いかるがさんとう)にも数えられる名塔です。
現存する三重塔は昭和50年の再建、現代の名塔
貝原益軒(かいばらえきけん)『大和廻』(やまとめぐり)には「三井の法輪寺 聖徳太子の建立なり。五重の塔、三重は崩れて二重残れり」という記述がありますが、もともと三重塔で五重塔ではありません。
正保2年(1645年)の大風で、最上層の屋根が吹き飛ばされていたのです。
元文2年(1737年)に修復され、美しい景観が戻っていました。
7世紀末の建立と推測される三重塔は、残念ながら昭和19年7月21日に落雷で焼失。
仏舎利や塔内の釈迦如来像、四天王像はなんとか搬出することができましたが、最大最古の三重塔は火柱となって失われてしまいました。
現存する三重塔は、昭和50年の再建です。
昭和40年、作家・幸田文(こうだあや=幸田露伴の次女)は出版社を通して法輪寺住職・井ノ上慶覚(いのうえけいがく)が三重塔再建に奔走していることを聞きます。
父・幸田露伴の代表作『五重塔』のモデルとなった東京谷中・天王寺の五重塔焼失(昭和32年)を目の当たりしていた幸田文は、三重塔焼失に心を痛めたのです。
昭和41年、用材のヒノキの準備も完了していましたが資金難で再建の目処(めど)が立たなかったのです。
国宝指定が解除されて公的援助が見込めないこと、万博景気やオイルショックで建設費が高騰していることなど、三重塔の再建が困難だという話を聞き、自らも斑鳩に移り住み、寄付金集めなど再建に尽力しています(全国からの支援は2万人に及びました)。
「親が紙の上に文字で建てた塔のおかげで、ごはんを食べてきた私なんです。・・・これはもうお手伝いしなきゃならない」(『塔のこと』」幸田文全集22巻)
再建にあたっての設計は「法隆寺の昭和大修理」で知られる名古屋工業大学教授・竹島卓一(たけしまたくいち)、棟梁は宮大工・西岡楢光(にしおかならみつ=法隆寺昭和大修理の棟梁)と長男・西岡常一(にしおかつねかず=「最後の宮大工」と謳われた名棟梁で、法隆寺専属の宮大工、斑鳩町名誉町民)、次男・西岡楢二郎(にしおかならじろう=法隆寺宮大工)が務め、昭和47年10月8日着工、昭和50年3月31日竣工(11月4日、落慶法要)。
法輪寺・三重塔 | |
名称 | 法輪寺・三重塔/ほうりんじ・さんじゅうのとう |
所在地 | 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570 |
関連HP | 法輪寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR法隆寺駅から奈良交通バス法隆寺方面行きで5分、中宮寺下車、徒歩15分 |
ドライブで | 西名阪自動車道法隆寺ICから約3.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 法輪寺 TEL:0745‐75‐2686 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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