新潟県長岡市は、江戸時代、越後長岡藩・牧野家(7万4000石)の居城、長岡城があり、幕末には戊辰戦争の激戦地となった地です。本丸跡は、現在の長岡駅あたり、二の丸跡が「シティホールプラザ アオーレ長岡」です。ところが、市街地のはずれ悠久山公園に天守閣風の長岡城がそびえ立っています。
そもそも長岡城には天守はなかった!

幕末の越後長岡藩は、新政府軍に徹底抗戦。
河井継之助(かわいつぎのすけ)主導で奥羽列藩同盟に加わり、北越戦争を展開しました。
その敗北を受け、長岡城は完璧なまでに破却され、上越線の駅舎が本丸跡東部分(設置当時は「遊覧場」という園地でした)に建設されています(明治31年開業)。
上越新幹線で長岡駅を降りると、大手口という案内を目にしますが、駅前のロータリーが本丸の跡ということに。
もともと長岡城には天守はなく、本丸北西の御三階櫓(おさんかいやぐら)が代用天守として機能していました。
天守風の建物は、「長岡市郷土史料館」

戊辰戦争後に建物や石垣が完全に破却された長岡城ですが、悠久山公園にはなぜか天守風の建物があります。
昭和43年、昔を偲ばせる建物がないことで、市制60周年記念事業で悠久山公園に天守風の「長岡市郷土史料館」を建設、文化財をここに集めて、後世に長岡藩、長岡城の歴史を伝えようといたもの。
コンクリート製の復興天守が全国に建てられていた時代、長岡駅となった駅周辺に博物館を建てる余地がなく、悠久山公園を選んだということでしょう。
ただし、天守風の建物は、御三階櫓を模したものではなく、どことなく奥羽列藩同盟の盟友、会津若松城に似た外観です。
「長岡市郷土史料館」は4階建ての天守閣に走り櫓、角櫓が付随し、角櫓部分から入城する仕組み。
一見すると、往時の長岡城天守を模したとも思えますが、長岡城には天守がなかったので、完全に天守風博物館ということになります。
昭和29年、長岡駅地下道建設の際に見つかった石垣を「長岡市郷土史料館」の石垣(角櫓部分の石垣)の一部に転用しています。
展示内容は、先人顕彰展示(天守閣2階、3階及び走り櫓2階)、悠久山先人顕彰碑の紹介(角櫓1階玄関)、雪国の民俗展示(天守閣1階)で、実はあまり長岡城についての解説はありません。
4階は展望台となっているので、展望施設としては楽しむことができますが、城好きには少し物足りない内容かもしれません。

| 確実に誤解を生む! まさかの天守閣(5)長岡城|新潟県 | |
| 名称 | 長岡城/ながおかじょう |
| 所在地 | 新潟県長岡市大手通1JR長岡駅前広場 |
| 電車・バスで | JR長岡駅から徒歩2分 |
| ドライブで | 関越自動車道長岡ICから約6.2km |
| 駐車場 | アオーレ長岡地下駐車場(103台/有料)・大手口駐車場(191台/30分まで無料、以降有料)・大手通地下駐車場(190台/有料)など利用 |
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