【知られざるニッポン】vol.32 日本初のプロ野球が行なわれた鳴海球場

昭和9年に、日本で最初の職業野球チーム「巨人軍」が誕生、昭和11年名古屋にも「名古屋軍」と「金鯱軍」が生まれますが、昭和11年2月9日、日本で初めて「東京巨人軍」と「名古屋金鯱軍」の「プロ野球の試合」が行なわれたのは、どこでしょう? それが現・名古屋市緑区鳴海町にあった鳴海球場(なるみきゅうじょう)です。

最初の試合は、東京巨人軍VS名古屋金鯱軍

国内で日本初の職業野球が行なわれた球場は、実は名古屋市にあります(海外を含むと京城で行なわれたのが最初)。

『新愛知新聞』(現在の中日新聞の前身のひとつ)は「全国最初の職業団野球」と報じていますから、当時もこの試合がプロ野球の最初という認識があったというわけです。

昭和2年10月、名鉄の前身・愛知電気鉄道は、この年、神宮前~吉田(現・豊橋)間が開通、沿線開発として建設した球場が鳴海球場でした(当初は愛電球場)。

当時はまだ名古屋市内ではなく、愛知県愛知郡鳴海町。
東海道五十三次の40番目の宿場、鳴海宿があった場所で、今でこそ、通勤圏として市街化していますが、当時はまだ緑の丘陵地が広がっていたのです。

そこに誕生したのが、愛電球場。
昭和3年に鳴海球場と名を変え、昭和6年にはなんと当時の大リーグのスーパースター、ルー・ゲーリックを擁する大リーグ選抜が全慶應と対戦しています(東京六大学野球連盟は大正14年に発足)。
当時はまだ、日本にプロ野球はなく、野球といえば東京六大学か、全国中等学校(現在の高校野球)でした。
この鳴海球場では、昭和9年にはベーブ・ルースらが加わる全米選抜チームが全日本軍と対戦してもいるのですが、このこともあまり知られていません。

プロ野球で初勝利のチームは名古屋金鯱軍

職業野球(プロ野球)が日本に誕生し、昭和11年2月9日から3日間わたって鳴海球場で「巨人軍渡米送別試合兼金鯱軍結成記念試合」として行なわれたのが、東京巨人軍VS名古屋金鯱軍の試合。

結果は第1試合=巨人軍3×10金鯱軍、第2試合=巨人軍8×3金鯱軍、第3試合=巨人軍4×2金鯱軍。
つまり2勝1敗で巨人軍の勝利。

名古屋金鯱軍は、名古屋新聞社が親会社で、ホームとなったのが鳴海球場です。
現在の日本プロ野球組織に属する球団同士が行った初めての試合であることから、最初の試合は名古屋金鯱軍が勝利、つまりはにほんのプロ野球で初めて勝ったのは金鯱軍ということになります。

鳴海球場は自動車学校に転身

外側(北側)から眺めた3塁外野側スタンド。メインスタンドは伊吹山を冠した伊吹スタンドという名前が付けられていたがコース拡張で撤去。鳴海球場誕生80年の平成19年にはホームベース跡に記念ホームプレートが設置されている
外側(北側)から眺めた3塁外野側スタンド

現在の日本野球機構のルーツ、日本職業野球連盟が発足するのも昭和11年ですから、まさに歴史的にも記念すべき試合だったということに。

地元名古屋でも、今では知る人の少なくなった「日本初のプロ野球が行なわれた球場」ですが、実は中日ドラゴンズのルーツはこの金鯱軍ではなく、新愛知新聞(金鯱軍の名古屋新聞社とはライバル関係)の名古屋軍。
読売新聞社の社長・正力松太郎が新愛知新聞社編集主幹・田中斉に職業野球のチーム結成とリーグ戦参加を呼びかけたのです。

そして名古屋軍(中日ドラゴンズ)としての最初のホームゲーム、昭和11年5月16日の対阪急戦もこの鳴海球場で行なわれています(名古屋軍の勝利で勝ち投手はハーバード・ノース)。
両翼106m、中堅132mという規模は現在の国際規格を上回る立派な球場です。

戦後は中日ドラゴンズのホームとして使用されますが中日スタヂアム(以前のナゴヤ球場、昭和23年完成)の完成・本拠地球場化で、昭和33年10月に廃止となっています。

さてさて、廃止となった巨大スタジアム、所有者の名鉄は、来たるべくモータリゼーションを先読みし、跡地を昭和34年4月に名鉄自動車学校として再生。
名鉄バスの乗務員養成という目的も有していたのです。
現在も大型バスの教習が行なわれているのは、その伝統です。

鳴海球場のスペースは、自動車学校としても申し分ありません。
スタンドは当初は2万人収容。
昭和26年の大改造で4万人収容となっていましたが、これも自動車学校の一部として利用されています。
全国唯一のスタンド付きの自動車教習所というわけです。

メインスタンドには伊吹山を冠した伊吹スタンドという名前が付けられていましたが自動車学校のコース拡張で撤去。
現存するスタンドは、3塁外野側スタンドです。
鳴海球場誕生80年の平成19年にはホームベース跡に記念ホームプレートが設置されていて、往時の歴史を今に伝えています。

1塁側のスタンド。戦時中は弾薬庫にも利用されたという
1塁側のスタンド。戦時中は弾薬庫にも利用されたという


名鉄自動車学校。北がホーム側、南が外野スタンドということが地図からもよくわかる

名称【知られざるニッポン】vol.32 日本初のプロ野球が行なわれた鳴海球場
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。

よく読まれている記事

こちらもどうぞ