佐渡、小木港の西3kmにある、宿根木(しゅくねぎ)。江戸中期から明治にかけて、日本海岸と大坂(現・大阪)などを結ぶ、北前船の寄港地となり、佐渡廻船の基地でもあったため、多くの廻船問屋や船大工が居を構えた場所。公開民家「清九郎」(清九郎の家)は、江戸時代後期に建造された廻船主の家(宿根木の廻船業は家族経営)。
経営者、長男、次男の3世帯で営んだ廻船船主・船頭の家
1haほどの土地に210棟の木羽屋根の建物がひしめく宿根木集落は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され(佐渡市宿根木重要伝統的建造物群保存地区)、廻船主の家屋「清九郎の家」と、船大工職人の民家「金子家」、狭い路地の形状に合わせて三角形に建てられた「三角家」(舟形の家)の3軒を公開。
公開民家「清九郎の家」は、江戸時代後期から明治にかけて北前船で財をなした廻船業・有田久四郎の家で、その後、石塚清九郎に売却したため「清九郎の家」と呼ばれています。
有田久四郎は、弘化4年(1847年)には510石の廻船(千石船)を所有し、明治23年頃まで廻船業を営んでいました。
船主のほか船頭も務めて、幕末には有田家は3世帯10人で暮らしていいました(宿根木では2艘の船を持ち父親が船持ちとして廻船業を経営し、長男と次男がそれぞれの船の船頭を務めるのが理想の海運業でした)。
明治中期に動力船の導入で、和船の北前船の交易は陰りを見せ、有田家は家を同業の石塚清九郎に売却し、長男は鰊漁(にしんりょう)で繁栄する北海道・小樽へ移住し、次男は山林経営に乗り出し、後に小木町長になっています。
広々としたダイドコ、カッテ(土間)、そして吹き抜けになったオマエ、立派な仏壇の置かれたブツマなどが1階にあり、2階には大座敷、小座敷が配されています。
また建物奥側の庭のさらに奥の崖には洞窟が掘られて貯蔵庫になっています。
1階と2階に合計3室のナンド(各家族の寝室)を用意。
1階が経営者である父親夫婦の寝室。
2階には長男、次男の両船頭の寝室と居室という配置で、2階奥の座敷は、宴会などに使われました。
北前船主の家である「清九郎の家」の間取(まどり)からも宿根木では家族経営の廻船業だったことがよくわかります。
床板以外の柱、梁(はり)、天井、建具などすべて漆塗りという豪華なしつらえにも注目を。
家族経営とはいえ、一航海で今の貨幣価値で1億円の粗利(あらり)があったことこともある北前船の交易。
じっくりと見学すればその豪華さから往時の繁栄ぶりがわかります。
公開民家「清九郎」(清九郎の家) | |
名称 | 公開民家「清九郎」(清九郎の家)/こうかいみんか「せいくろう」(せいくろうのいえ) Seikuro Old House |
所在地 | 新潟県佐渡市宿根木 |
関連HP | 宿根木公式ホームページ |
ドライブで | 両津港(新潟汽船ターミナル)から約43km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 公開民家「清九郎」(清九郎の家) TEL:0259-86-3852 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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