新発田城辰巳櫓

新発田城辰巳櫓

初代新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が慶長3年(1598年)に築城した新発田城(しばたじょう/新潟県新発田市)。辰巳櫓(たつみやぐら)は本丸南東(辰巳)の位置に建つ2階建ての櫓。平成16年に古来の手法で復元された隅櫓です。

辰巳櫓火災と『忠臣蔵』の不思議な関係とは!?

新発田城辰巳櫓

層塔型2重2階の新発田城辰巳櫓は内部も見学も可能で、昔ながらの手斧削り(ちょうなけずり)の梁(はり)などを見ることができます。

辰巳櫓はかつて堀部安兵衛(ほりべやすべえ/本名は堀部武庸=ほりべたけつね)の父・中山弥次右衛門が管理責任者で、『世臣譜』によれば天和3年(1683年)、櫓焼失の責任をとり、藩を離れて浪人となっています。

堀部安兵衛は、家名再興のため江戸に出て、小石川牛天神下にある堀内正春(ほりうちまさはる=直心影流の剣術家で通称・源左衛門)の道場に入門。
高田馬場の決闘の「18人斬り」(実際には3人を斬り倒した)で名を上げ、赤穂浅野家家臣・堀部金丸(ほりべかなまる)と養子縁組。
赤穂浪士四十七士で一番の剣客となるのです。

新発田城辰巳櫓
名称 新発田城辰巳櫓/しばたじょうたつみやぐら
所在地 新潟県新発田市大手町6-4
関連HP 新発田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR新発田駅から徒歩20分
ドライブで 日本海東北自動車道聖籠新発田ICから約5km
駐車場 新発田城址公園駐車場(10台/無料)
問い合わせ 新発田城址公園 TEL:0254-23-3132
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

新発田城

新発田藩10万石の政庁となった城で、新潟県内では唯一、江戸時代の遺構が現存しています。初代の新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が1598(慶長3)年に築城を開始、3代藩主・溝口宣直(みぞぐちのぶなお)の代の1654(承応3)年に完成し

新発田城旧二ノ丸隅櫓

新発田城旧二ノ丸隅櫓

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新発田城表門

新発田城表門

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新発田城三階櫓

新発田城三階櫓

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