悠久山招魂社

悠久山招魂社

新潟県長岡市郊外、悠久山公園内・蒼柴神社(あおしじんじゃ)拝殿の裏手にあるのが、悠久山招魂社(ゆうきゅうざんしょうこんしゃ)。明治7年に造営され、幕末の北越戊辰戦争で戦死した藩士309名、後の西南戦争で戦死した旧長岡藩士18名も合わせて祀られています。

北越戊辰戦争、西南戦争で戦死した藩士らが眠る

北越戊辰戦争時、長岡藩の軍事総督を務めた河井継之助をはじめ、24歳の若さで散った大隊長の山本帯刀(やまもとたてわき=山本義路/山本家は三河時代から家康に従い、将軍家直参という身分を有していました)なども祀られており、河井継之助ファンにも注目の地。
河井継之助は、司馬遼太郎の歴史時代小説『峠』で見出され、2020年公開の映画『峠 最後のサムライ』(主演:役所広司、監督:小泉堯史)の主人公。

現存する悠久山招魂社の社殿は、明治45年に改修されたもの。
現在も長岡城が落城した日である5月19日前後の日曜日に、北越戊辰戦争戦没者の慰霊祭が行なわれています。

ちなみに、明治10年2月15日に始まった西南戦争では、高田士族259人、長岡士族80人、新発田士族471人など、北越戊辰戦争で薩長連合に苦汁をなめた旧藩士から従軍願いが続出。
その背景には、「薩摩藩への敵討ち」という気持が強くあったともいわれていますが定かでありません。

悠久山招魂社
名称悠久山招魂社/ゆうきゅうざんしょうこんしゃ
所在地新潟県長岡市悠久町707(悠久山公園内)
関連HP長岡市公式ホームページ
電車・バスでJR長岡駅東口から越後交通バスで12分、悠久山下車
ドライブで関越自動車道長岡ICから約12.2km。または、長岡南越路スマートICから約12.1km。北陸自動車道中之島見附ICから約11.9km
駐車場悠久山公園駐車場・蒼紫神社駐車場を利用
問い合わせ蒼柴神社 TEL:0258-33-1769
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
蒼紫神社

蒼柴神社

新潟県長岡市街の東、悠久山公園内に鎮座するのが蒼柴神社(あおしじんじゃ)。もとは長岡城内に、「長岡藩中興の英主」とも称された、長岡藩3代藩主・牧野忠辰(まきのただとき)を祀ったのが始まり。蒼柴神社の名は忠辰の尊号、蒼柴大明神からとったもの。

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