前島神社(河井継之助・開戦決意の地)

新潟県長岡市の南郊外、前島町にある小さな社が前島神社ですが、ここも北越戊辰戦争の史跡。明治元年・慶応4年(1868年)5月2日、新政府軍と行なわれた「小千谷談判」で、長岡藩・河井継之助独自の中立構想は受け入れられず、交渉は決裂。前島神社長岡藩の軍事総督を務めた河井継之助・開戦決意の地となっているのです。

河井継之助が開戦の決意を友に語った場所

前島神社(河井継之助・開戦決意の地)

「小千谷談判」の翌日5月3日、この信濃川を見渡す前島村の土手で、長岡藩の軍事総督・河井継之助は、周辺警備中の三島億二郎(川島億次郎)と会談。
ともに佐久間象山に学んだ竹馬の友ですが、当時非戦を訴えた三島に対し、継之助は「もし和するなら、我を切り3万両とともに差し出せ。さすれば戦争は避けられる」と説得。
やがて三島も「是非もなし。生死をともにせん」と、藩の軍事掛に就任。各地を転戦しました。

北越戊辰戦争に生き残った三島は、『米百俵』の逸話で名高い小林虎三郎とともに、藩の大参事として長岡復興に尽力。
地元では、河井継之助、三島億二郎、小林虎三郎の3人を「維新の三傑」として称えています。
前島神社の傍らには、「河井継之助開戦決意の地」碑が立っています。

前島神社(河井継之助・開戦決意の地)
名称前島神社(河井継之助・開戦決意の地)/まえじまじんじゃ(かわいつぎのすけ・かいせんけついのち)
所在地新潟県長岡市前島町226
ドライブで関越自動車道長岡ICから約11.4km。または、長岡南越路スマートICから約4.3km
問い合わせ長岡市観光企画課 TEL:0258-39-2344
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