山手線内回りに乗車すると田端駅から駒込駅にかけて一気に上るように、実はかなりの上り下りがある路線です。新宿駅〜新大久保駅間には山手線の最高地点もありますが、最大勾配はここではなく、田端駅〜西日暮里駅間で、34‰(パーミル)、鉄道の制限となる35‰に迫る数値です。なぜ、こんな急勾配が誕生したのでしょう。
昭和46年に誕生の「新駅」誕生で34‰の急坂誕生
川や海の運んだ土が堆積し、縄文海進時には海だった沖積平野(ちゅうせきへいや)と、洪積台地(武蔵野台地)を縫うように走り、台地の末端の崖下(上野駅〜田端駅など)、洪積台地の谷間(目白駅)など複雑な地形を駆け抜けています。
沖積平野から洪積台地への駆け上る場所では、五反田駅(標高3.4m)から、武蔵野台地上にある目黒駅(22.9m)まで、ひと駅間で19.5mも駆け上っています。
それでも池袋駅〜品川駅間にはさほどの急勾配はありません。
なぜなら赤羽駅〜池袋駅〜新宿駅〜品川駅が山手線のルーツで、現在の東北本線と横浜港を繋ぐルートとして敷設され、蒸気機関車が走った歴史があるからです。
つまりは蒸気機関車が上れないような勾配は築いていないということに。
蒸気機関車時代には10‰(パーミル=1000mの距離での10mの標高差があること)が最大値。
現在は駅の高架化などで勾配は増えているものの、もともとは赤羽駅〜品川間には急勾配は存在しませんでした。
田端駅〜西日暮里駅も本来は洪積台地の崖下を走る部分で、本来は東北本線の部分なので、傾斜はさほどではないはず。
実は、西日暮里駅は、先行して開業の営団千代田線(現・東京メトロ千代田線)との乗り換え駅として昭和46年4月20日に開業。
高輪ゲートウェイ駅(令和2年3月14日開業)が開業するまでは、「山手線最後の新駅」だったのです。
お隣の田端駅では線路は地上にあり、道路が跨線橋でオーバーパスしていますが、西日暮里駅では駅が高架駅で道路(道灌山の切り通しを通過)はちょうど駅下をアンダーパスしています。
田端駅〜日暮里駅間に西日暮里駅を築いたため、駅間距離がなく(西日暮里駅と日暮里駅のホームの端と端まで380mしかありません)、地上の田端駅から高架駅の日暮里駅まで、34‰の急坂で駆け上っているのです(並行する京浜東北線も同様です)。
さらに日暮里駅は地上駅のため(道路がオーバーパス)、また短い距離を一気に下るという「山手線のジェットコースター部分」になっているのです。
山手線で、一番標高が低い駅は品川駅で標高1.2m、最高標高が新宿駅の標高37.5mなので、駅の標高差だけでも36.3mもあるのです。
実は上ったり下ったりの山手線、最大勾配はなんと34‰も! その場所は!? | |
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