長崎県平戸市、平戸オランダ商館(復元施設)近くにあるのがオランダ埠頭。埠頭といっても海岸の護岸部分に石段が残されているのみですが、石段に恵比寿神が祀られることから別名えびす埠頭とも呼ばれ、商館が建てられていた時の荷揚げ用の階段。1641年11月1日付の『長崎商館資産債権等引継目録』には「水門の青石造階段」と記されています。
オランダ商館の長崎移転(鎖国完成)まで、ここが西洋への玄関口
当時はアーチ型の門があり鎖国時代の「日本の玄関口」としての偉容を誇っていました。
階段状になっているのは潮の干満に対応するため。
東インド会社所有帆船が停泊したと考えられます。
河口側の常夜灯ある場所まで石垣が組まれ、元和2年(1616年)、元和4年(1618年)、寛永16年(1639年)と3回にわたって港湾整備、護岸工事が行われています。
ただし、寛永16年(1639年)に最初の2回よりも海側へと埋め立てが進んだため、元和年間建設の護岸は地中に隠れています。
寛永15年2月28日(1638年4月12日)に終結した島原の乱の影響で、幕府は鎖国政策を強化。
ポルトガル人は日本から追放されましたが、オランダは、オランダ東インド会社平戸商館の第7代商館長ニコラス・クーケバッケルの協力で、原城に立てこもった一揆軍を、デ・ライプ号とベッテン号から砲撃するなどしています。
オランダ商館は幕府の海外事情の貴重な情報源として鎖国下も存続しますが、平戸のオランダ商館は寛永18年(1641年)に長崎出島へ移されているので(鎖国の完成)、江戸時代初期の33年間はこの石段が日本の西欧文化への玄関だったということになります。
オランダ埠頭 | |
名称 | オランダ埠頭/おらんだふとう |
所在地 | 長崎県平戸市崎方町 |
関連HP | 平戸市公式ホームページ |
電車・バスで | JR佐世保駅前から西肥自動車バス平戸桟橋行きで1時間25分、終点下車、徒歩3分 |
ドライブで | 西九州自動車道(武雄佐世保道路)佐世保みなとICから約36km |
駐車場 | 平戸港交流広場駐車場(50台/2時間まで無料、以降有料) |
問い合わせ | 平戸市観光課 TEL:0950-22-4111 |
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