カトリック浦上教会(浦上天主堂)

カトリック浦上教会(浦上天主堂)

キリスト教伝来以来、カトリック教徒が多い土地だった長崎市の浦上地区。キリシタン弾圧の時代を経て、明治維新後、信仰の自由を得た浦上地区の信者達の手によって、33年の歳月を掛け大正14年にようやく完成したのが浦上天主堂です。現在ではカトリック浦上教会(旧称:浦上天主堂)として長崎を代表する観光スポットに。

戦前の赤レンガ造りの双塔を復元

長崎県南松浦郡魚目村(現・新上五島町)出身の大工棟梁・鉄川与助(てつかわよすけ)が双塔部分を請け負っています。
双塔にはフランス製の小鐘、大鐘が吊り下げられていました(原爆によって吹き飛ばされた大鐘は今も使われ、倒壊した鐘楼の一部が天主堂近くに保存されています)
双塔レンガ造りの大聖堂は東洋一といわれましたが、昭和20年8月9日の原爆投下で爆心地から至近距離にあったため全壊し、主任司祭・ラファエル西田三郎や、多数の信者が犠牲となっています。

現在の天主堂は昭和34年11月1日に旧浦上天主堂の外観を模して再建されたもの。
爆心地にある平和公園からほど近い、青空にレンガ色が鮮やかに映える教会で、浦上天主堂と通称されてはいますが、正式名はカトリック浦上教会。
昭和56年の教皇ヨハネ・パウロ2世の来訪を機に、その前年にレンガで外壁が改装され、戦前の赤レンガ造りに戻されています。


なお、浦上天主堂の原爆でのレンガ遺構の一部(高さ13m、幅3mの側壁)を平和公園内に移設し、被爆遺構として保存されています。

カトリック浦上教会(浦上天主堂)
原爆投下で倒壊した鐘楼部分の遺構
カトリック浦上教会(浦上天主堂)
戦前(原爆投下前)の浦上天主堂
名称 カトリック浦上教会(浦上天主堂)/かとりっくうらかみきょうかい(うらかみてんしゅどう)
所在地 長崎県長崎市本尾町1-79
関連HP 浦上天主堂公式ホームページ
電車・バスで JR長崎駅前から赤迫行き路面電車で15分、松山町下車、徒歩10分
ドライブで 長崎自動車道長崎ICから約8km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:095-844-1777/FAX:095-844-6508
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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