長崎県長崎市船大工町にある福砂屋長崎本店(ふくさやながさきほんてん)。福砂屋は、寛永元年(1624年)創業の老舗。南蛮船といっしょに海を渡って長崎に伝来したカステラ。福砂屋は「カステラ本家」を名乗るように、祖先がポルトガル人から南蛮菓子を学び、長崎カステラを生み出しています。
長崎カステラ、そして五三焼きのルーツ
カステラの名はイベリア半島中央部のカスティーリャ地方(ラテン語でcastella=城が多い地方の意)に由来し、現在ポルトガルの代表的な菓子でパオ・デ・ロー (Pão-de-ló)と呼ばれるスポンジケーキの一種と推測されています。
ポルトガル人が食べるパオ・デ・ロー を見た日本人が、「このお菓子はなんですか?」と尋ねると、「カスティーリャ地方の菓子」と答えたので、カスティーリャ、それが転訛してカステラというわけです(カステラの名の由来については、作る時の掛け声など諸説あります)。
福砂屋が創業した寛永元年(1624年)は、前年に徳川家光が3代将軍となり、キリシタンに対する弾圧政策、鎖国政策を強化し始めた時代。
福砂屋の福は、中国福建省(長崎には福建省出身の華僑がたくさんいました)、砂は砂糖と推測されています。
当時、貴重品だった砂糖は、福建省から福州船で長崎に運ばれていたという歴史を背景にした店名ということに。
昭和13年に長崎市が出版した『長崎案内』には「寛永元年に、ポルトガル人よりカステラ製造を伝授。その原名はカストルボルという。カストルとはスペインの州名、ボルは菓子の意味」と福砂屋とカステラの関係を紹介しています(ボルはボーロ、菓子のこと)。
こうして、南蛮貿易で長崎に伝わった南蛮菓子・カステラが、鎖国政策の中、福砂屋が和菓子・カステラへと進化させたのだと推測できます。
さらに明治時代、12代・福砂屋清太郎は、卵に工夫を凝らした白菊、黄菊そして有名な五三焼(ごさんやき)を創案していますが、同時に、今も使われる蝙蝠(こうもり)を商標にしたもの清太郎です。
福砂屋のカステラは、吟味された素材を使い、ひとりの職人が最後まで仕上げるという手作りの逸品。
底に双目(ザラメ)が残るのも、手づくりならではの製法から生まれた結果で、それが本来の長崎カステラたる証にもなっています(双目糖を撒いた上に生地を流しこむ製法とは大きく異なります)。
卵を手割りで黄身と白身に分け、職人の手によってまず、白身だけを細心の注意を払い充分に撹拌(かくはん)。
その後、黄身と双目糖を加えてさらに泡を生かしながら撹拌するという手間をかけた「別立法」(べつだてほう)だから生まれるものなのです。
通常のカステラももちろん美味で上品な味わいですが、特製五三焼カステラは、砂糖、双目糖、卵を多く、小麦粉は少なくして、風味のコクをさらに増したもの。
熟練した職人の高度な技法を要し、量産できないカステラのため、少し値段は高くなりますが、その分、プレミアム感も(贈答品として五三焼き2本入が人気とか)。
「オランダケーキ」は、ココア入りのカステラです。
福砂屋 長崎本店 | |
名称 | 福砂屋 長崎本店/ふくさや ながさきほんてん |
所在地 | 長崎県長崎市船大工町3-1 |
関連HP | 福砂屋公式ホームページ |
電車・バスで | 路面電車思案橋電停から徒歩3分 |
ドライブで | 長崎自動車道長崎ICから約4.5km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 福砂屋 長崎本店 TEL:095-821-2938 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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