長崎県五島市三井楽町の柏地区にある遣唐使船に飲料水を供給していたと伝わる井戸がふぜん河。
五島列島・福江島の北西部、東シナ海に面した三井楽は、遣唐使船が大海原(東シナ海)に漕ぎ出す最後の陸地で、高崎鼻~柏崎~長崎鼻の海岸線は三井楽(みみらくのしま)として国の名勝にもなっています。
空海も飲んだ遣唐使が使った井戸水
遣隋使そして遣唐使も当初は、朝鮮半島の西側を北上するコースを採っていましたが、周辺諸国とのトラブル回避、海賊を避けるなどの目的で、九州から10日間ほどかけて東シナ海を横断するルートに変更されました。
第14次の遣唐使船から南回りの東シナ海横断ルートが採用され、18回計画された遣唐使の中で、第14、15、16、17次の4回、五島に立ち寄っています。
それ以前の記録にも三井楽の古地名である「美弥楽久」の字が記録されているので、風待ち、難破した際の漂泊地などに利用されていたと推測できます。
延暦23年(804年)の第16次遣唐使船(大使・藤原葛野麻呂)で、最澄、空海が乗船した船が福江島・三井楽に寄港し、空海は辞本涯(日本の最果ての地を去る)という言葉を残しています。
空海は第16次遣唐使船で唐に渡り、2年後の第17次で帰国していますが、一行の飲料はこの井戸で積んだとされるので、空海や最澄も飲んだ水ということに。
遣唐使が廃止された後も、三井楽は中国へ渡航する船の日本最後の寄港地として重要な役割を果たし、ふぜん河も飲料水として利用され続けています。
丸い自然石を積み重ねた直径3mほどの井戸には、今も水が湧いています。
近くにある岩嶽神社(いわたけじんじゃ)は、承和5年(838年)、遣唐使の守護の任にあった鎖鎌(武器)の名人が、この地で風待する間に病死。
霊を祀ったのが始まりだと伝えられています。
承和5年(838年)の遣唐使は最後となるもので、藤原常嗣(大使)、小野篁(副使)で円仁が参加しています。
ふぜん河(遣唐使遺跡) | |
名称 | ふぜん河(遣唐使遺跡)/ふぜんかわ(けんとうしいせき) |
所在地 | 長崎県五島市三井楽町柏 |
関連HP | 五島市公式ホームページ |
ドライブで | 福江港から約27km |
問い合わせ | 五島市教育委員会生涯学習課 TEL:0959-72-7800 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag