世界自然遺産に認定される屋久島(鹿児島県熊毛郡屋久島町)には、樹齢数千年にもなるスギの巨樹が生育。推定樹齢は2000年〜7200年という縄文杉を筆頭に、大王杉、翁杉、万代杉など杉の巨木が数ありますが、実は、原始の森のなかには、「未知なる日本最古の杉」が眠っている可能性があるのだとか。
あえて巨木探しをしないのには理由がある!?

屋久島のシンボルともいえる縄文杉は、昭和41年、当時、屋久島町観光課長だった岩川貞次氏(明治36年生まれ、当時63歳)が発見。
当初は大岩杉という名前でしたが、その後、縄文杉の名が定着し、大株歩道が整備されて、今では屋久島のシンボルツリーになっています。
空洞のある木は正確な年代を定めるのは難しく、推定樹齢は2000年〜7200年といわれています。
屋久杉は屋久島に自生する樹齢1000年以上の杉の名で、実は推定樹齢3000年以上の杉も数あるのです。
鬼界カルデラが7300年前に破滅的な巨大噴火を起こし、一帯の樹木は焼き尽くされたと推測されるので、屋久杉の樹齢は最大でも7200年前ということに。
縄文杉周辺の杉の大木は、戦国時代に京・方広寺大仏殿建築のため、豊臣秀吉の命で一部の巨木が伐採され、海路、大坂(現・大阪)まで運ばれたといわれています。
かつては森林軌道(森林鉄道)が島の奥深くまで敷設され、樹木の伐採が行なわれていましたが、昭和45年には、すべての伐採が停止し、その後は原始のままに眠る森となっています。
縄文杉の周囲の杉にも、試し切りの痕(あと)があるので、江戸時代にはすでに杣人(そまびと=木こり)には知られていたことも明らかで、岩川貞次氏は、「大王杉から高塚分岐点への近道を開設中に再発見した」とされています。
岩川貞次氏は生前、「大王杉よりもっと大きな杉があるという古老の伝承、そして地元の猟師の話を確かめたい」と、山中を彷徨(ほうこう)し、大岩杉を見つけたと話していました。
大岩杉の名は、その姿から「大いなる岩のような木」、そして自らの名にある岩をとって命名。
新聞報道では、縄文時代に芽生えただろう杉ということで(発見時、岩川貞次氏は樹齢6900年と推定)、「縄文大岩杉」と報道され、いつのまにか縄文杉の名が一般化したのです。
さらに、岩川貞次氏は取材班に「実は、大岩杉よりも、もっと巨木が眠っていて、実際にこの目で見たこともあるけど、今は発表しない。もし発表するなら、息子(長男・貞之さん)の名前で・・・」と笑っていたので、自然保護との両立をすでに考えてあえて公表しなかったとも推測できます。
屋久島の山に精通する人たちは、「縄文杉より大きいんじゃないかという木が何本もまだ残っている」と断言。
令和7年6月にはJNN(TBS)の取材班が、特別に許可を得て山師の案内で森に入り、テレビカメラで未知なる巨木を捉えています。
屋久島の自然に精通する山師たちは、あえて巨杉を保護するために、巨木の存在を公表してこなかったということに。
神木として崇められてきた巨大な屋久杉、今後も密かに眠り続けることでしょう。

屋久島には、「未知なる日本最古の杉」が、ある!? | |
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