旧閑谷学校

旧閑谷学校

岡山藩主・池田光政(いけだみつまさ)により開設された日本最古の庶民学校が岡山県備前市にある閑谷学校(しずたにがっこう)。庶民のための学校として、領内はもとより他藩の者にも入学を許可、頼山陽らも度々訪れたとか。旧閑谷学校として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されています。

備前藩主池田光政が理想郷を描いた学問の地

旧閑谷学校
旧閑谷学校

岡山藩主となった池田光政は、儒教を信奉し陽明学者・熊沢蕃山を招聘。
寛永18年(1641年)、全国初の藩校・花畠教場を開校し、閑谷学校の本格的な建設が始まったのは寛文10年(1670年)のこと。

岡山藩は学校領を設け学田や学林を運営する独立採算制をとっていましたが、万一藩主の池田家が転封改易されても学校運営は続けられるようにという配慮から(実際には明治維新まで池田家の治世が続きます)。

全体に建物の保存状態がよく、かまぼこ型の石塀に囲まれた敷地には、国宝の講堂、聖廟、習芸斎(教室)、文庫、閑谷神社などの施設が点在しています。

屋根瓦は地元の備前焼で、そのために窯を作り、伊部から陶工を呼び寄せたのだとか。

国宝の講堂は本瓦葺き、入母屋造り。
良材を選び、傷みやすい部分は黒漆で仕上げられています。
文庫、聖廟、閑谷神社など24棟が国の重要文化財で、茶室の黄葉亭などとともに全体が国の特別史跡。
紅葉の名所でもあり、紅葉の見頃は例年11月中旬。

池田光政は、神儒一致思想から神道を中心とする政策を行ない、日蓮宗不受不施派を中心に仏教を弾圧し、過去帳の抹消。
元日・祭礼・祝宴以外での飲酒を禁じ、神輿・だんじりなどを用いる祭礼をも禁止したため、地酒が育たない土地柄となったほか、倹約に徹したため産業振興に遅れが生まれるという負の側面も生じています。

旧閑谷学校
旧閑谷学校
名称 旧閑谷学校/きゅうしずたにがっこう
所在地 岡山県備前市閑谷784
関連HP 特別史跡旧閑谷学校公式ホームページ
電車・バスで JR山陽本線吉永駅からタクシーで5分、JR赤穂線備前片上駅からタクシーで10分
ドライブで 山陽自動車道備前ICから約8km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 史跡受付 TEL:0869-67-1436/FAX:0869-67-1436
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/岡山県観光連盟

旧閑谷学校講堂(国宝)

旧閑谷学校講堂(国宝)

2023年10月9日

 

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