『桃太郎』のモデルともいわれる吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀ることで知られる古社が岡山市北区に鎮座する吉備津彦神社。備中と備前の国境に位置する「吉備の中山」(きびのなかやま)を御神体とし、その備前側の麓に鎮座する(備中側には吉備津神社が鎮座)。備前国の一之宮。授与品の「災難除け守り」は桃の形に。
『桃太郎』のモデルともいわれる吉備国開拓の吉備津彦命を祀る
創建年代は不明ですが、もともと備前、備中、備後は吉備の国。
吉備の一之宮は吉備津神社で、7世紀後半に備前、備中、備後に分割した際に、吉備津彦神社が備前国の一之宮となったのです。
夏至の日には太陽が正面鳥居の真正面から昇り、祭文殿の鏡に当たる造りから「朝日の宮」とも呼ばれています。
祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。
『日本書紀』によれば、吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、四道将軍(しどうしょうぐん)のひとりとして西道に派遣され、『古事記』には吉備国を平定したと記されています。
宮内庁は、吉備津彦神社、吉備津神社の御神体である「吉備の中山」にある中山茶臼山古墳を大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)に治定しています。
吉備津彦神社は、古くから歴代朝廷や武将の信仰も厚く、中世以降は、宇喜多氏、小早川氏(小早川秀秋・宇喜多直家)、池田氏など歴代領主の尊崇を受けています。
備中高松城水攻めの際には羽柴秀吉も武運長久を祈願したのだとか。
16世紀後半に日蓮宗を信奉する金川城主・松田元成によって社殿が焼き払われていますが、池田氏が再建。
その後、昭和5年には本殿、随神門などを残し再度焼失しています。
現存する本殿は、藩主・池田光政・綱政親子が元禄10年(1696年)に再建したもので、総ケヤキの三間社流造り。
現在の拝殿などは昭和11年の再建。
境内にある子安神社も岡山藩主・池田氏の崇敬があったことで有名。
毎年8月2日〜3日には五穀豊穣を祈願する『御田植祭』(岡山県の無形民俗文化財)が斎行されています。
吉備津彦神社近くには全国では第4位の規模の巨大古墳の造山古墳もあり、一帯が古くから開けた地であることがよくわかります。
吉備津彦命は温羅の投じる岩に対して2本の矢を同時に射て温羅の左目を射抜き、温羅が雉に変身して逃亡を図ろうとした際に、五十狭芹彦命は鷹になって後を追い、鯉になって川に逃げた温羅を五十狭芹彦命が鵜になって飲み込んで退治するというエンディングです。
桃太郎伝説で、桃太郎に従った犬、つまりは猟犬を飼育、操し、朝廷に仕えた一族の子孫は、現在の犬飼(犬養)家、百里を飛ぶ能力を持つ術師で雉(きじ)に例えられる一族の子孫は、鳥飼家、鳥越家で、軍師的存在の猿の子孫は、高塚家、藤井家なのだとか。
吉備津彦神社 | |
名称 | 吉備津彦神社/きびつひこじんじゃ |
所在地 | 岡山県岡山市北区一宮1043 |
関連HP | 吉備津彦神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR備前一宮駅から徒歩5分 |
ドライブで | 山陽自動車道吉備スマートICから約3km。岡山ICから約7km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 吉備津彦神社 TEL:086-284-0031/FAX:086-284-0041 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力/岡山県観光連盟
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