岡山県倉敷市児島、由加山(ゆがさん)の山上にある、真言宗御室派の寺が、由加山蓮台寺。山号は瑜伽山(ゆがさん)。奈良時代、聖武天皇(しょうむてんのう)の発願により行基が開山、阿弥陀如来と薬師如来を瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)として祀ったのが始まり。古くから「厄除けの権現さま」として有名です。
江戸時代には瀬戸内海屈指の霊場として繁栄
古代の巨石を信仰する磐座信仰(いわくら)に始まり、奈良時代の天平5年(733年)、「此の山は無双の霊地にして、梵刹を開き、三密瑜伽の行を行い、我を瑜伽大権現として祀るべし」と夢告を受けた行基が阿弥陀如来と薬師如来の二尊を瑜伽大権現として祀り、山岳信仰の地として栄えました。
瑜伽大権現は「有求必応」(ゆうきゅうひつおう=求めあらば必ず応ず)の霊山で、「厄除け」にご利益があることから、江戸時代半ばには備前岡山藩主・池田家の祈願寺になり、正五九(1月・5月・9月)には藩主が参詣していました。
権現造りの本殿・拝殿が寄進され、伽藍が整っています。
江戸時代には岡山藩の庇護尊崇もあって神仏習合の寺として繁栄し、明治末頃まで四国の象頭山金毘羅大権現(ぞうずさんこんぴらだいごんげん=神仏分離後は金刀比羅宮/現・香川県琴平町)への参詣途中に立ち寄る「金毘羅・由加山両参り」の地としても人気を博しました。
本尊は十一面観世音菩薩で、中国三十三観音霊場6番札所。
奥の院といわれる境内奥の観音堂は、享保年間(1716年~1736年)築で、十一面観世音菩薩を祀っています。
多宝塔は、天保年間(1830年~1844年)の再建。
明治の神仏分離の荒波に抗して築かれた権現堂(権現堂奥の院)には、瑜伽大権現が祀られているので、ぜひ、参詣を。
総本殿1階には、日本最大級(総高7m59cm、仏身3m66cm)の木造座像である厄除大不動明王が祀られています。
毎月28日には、厄除け大不動明王の縁日であることから、特別内拝が行なわれ、護摩供養を厳修。
由加の名物「あんころ餅」が売られるほか、かつて藩主が泊まった客殿では、精進料理が味わえます。
毎月(1月を除く)1日には『おついたち祭』が執り行なわれます。
10月第4日曜には『厄除不動大祭』も。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で由加山蓮台寺と由加神社(現・由加神社本宮)に分かれています。
由加山全域は、瀬戸内海国立公園に指定され、由加山に旧参詣路を使って登る中国自然歩道(瀬戸内ルート)「由加山の自然と歴史を訪ねるみち」(JR木見駅・倉敷市木見〜JR上の町駅・倉敷市児島上の町2丁目)も整備されています。
ちなみに、瑜伽大権現(由加山蓮台寺)を日本三大権現と情報もありますが、本来権現とは、本地垂迹説で仏や菩薩が日本の神に仮の姿として現れたもの。
すべての神仏を抱合するので、日本三大権現という表現はありえません(東照大権現、金毘羅大権現など個別の日本三大〇〇権現となるのが正解)。
歌川広重の描いた由加山・田ノ口(両参りの湊)
『山海見立相撲』(さんかいみたてずもう)は、安政5年(1858年)刊行と、歌川広重最晩年の作で、全国各地の名所を描いています。
日本全国から10ヶ国の山と海の風景を一つずつ組み合わせた計20枚が残っており、備前国(岡山県)では「備前偸賀山」(由加山)と「田ノ口」がそれぞれ山と海の風景に選ばれています。
行司が使う軍配がタイトルの枠となっていることが、『山海見立相撲』の表題に。
田の口は、「金毘羅・由加山両参り」の参拝者が下船した船着き場。
現在も明治維新頃に再建された大鳥居が立っています。
名称 | 由加山蓮台寺/ゆがさんれんだいじ |
所在地 | 岡山県倉敷市児島由加2855 |
関連HP | 由加山蓮台寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR児島駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 瀬戸中央自動車道水島ICから約8.5km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | TEL:086-477-6222/FAX:086-477-5551 |
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