琉球開びゃくの始祖、アマミキヨが造った琉球七御嶽のひとつが沖縄県南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)。王国最高位の女神官である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任儀式「御新下り」が行なわれた琉球王国最高の聖地(御嶽)で世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産にもなっています。
琉球王国最高の聖地(御嶽)を参拝
斎場御嶽のシンボルが三角形の洞門、三庫裏(さんぐーい)で、洞門は1万5000年前の大地震で琉球石灰岩の断層がずれて誕生したもの。
洞門の正面にアマミキヨが国造りを始めたと伝えられる久高島(フボー御嶽があります)を眺望します。
平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された琉球王国最高の聖地です。
琉球開闢の女神・アマミキヨ(琉球王国の歴史書『中山世鑑』には阿摩美久と表記)は、海の彼方の異界・ニライカナイから久高島に降臨したと伝えられています。
琉球第一の聖地である斎場御嶽は、戦前までは、男子禁制でした。
入口の結界から450mの石畳の参道が奥へとつながっり、最初の拝所が大庫理(うふぐーい/大庫理=大きな部屋)。
聞得大君(きこえおおぎみ=第二尚氏時代の琉球神道における最高神女で、太陽神の化身。国王と王国全土を霊的に守護するノロ)即位の儀式の際に、中心的な祭場となった場所で、アマミキヨの神威を最も強く迎えられるこの御嶽では、最高神女の就任式など、王国ための大事な儀式が行なわれていました。
御嶽の中には、6つのイビ(神域)がありますが、大庫理・寄満・三庫理は、首里城内にある建物や部屋と同じ名前。
聞得大君の就任式である「お新下り」など琉球王国の国家的な祭事には聖なる白砂を神の島・久高島から運び入れ、御嶽全体に敷き詰めています。
寄満(ユインチ)と呼ばれる拝所は、オーバーハングした岩の天井と鍾乳石から、鍾乳洞が浸食されたものだということがわかります。
鍾乳石の先端は、沖縄戦の艦砲射撃による爆風で欠損しています。
現在も琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(あがりうまーい) の参拝地のひとつ。
入口にはガイダンス施設「緑の館・セーファ」も建っているので、お立ち寄りを。
また、参拝は琉球王国最高の聖地(御嶽)であることを念頭に、マナーを守って行動を。
東御廻りの聖地巡礼
東御廻り(あがりうまーい)は、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るもの。
国王の巡礼が起源と推測されています。
(1)園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)/那覇市・首里城外
(2)御殿山(うどぅんやま)/与那原町
(3)親川(うふかわ)/与那原町
(4)場天御嶽(ばてぃんうたき)/南城市佐敷
(5)佐敷上グスク(さしきうぃぐすく)/南城市佐敷
(6)テダ御川(てぃだうかー)/南城市知念
(7)斎場御嶽(せーふぁうたき)/南城市知念
(8)友利ノ御嶽(とむいのたけ)/南城市知念・知念グスク内
(9)知念大川(ちねんうっかー)/南城市知念
(10)浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ)/南城市知念
(11)ヤハラヅカサ/南城市玉城
(12)浜川御嶽(はまがーうたき)/南城市玉城
(13)ミントングスク(みんとぅんぐすく)/南城市玉城
(14)雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき)/南城市玉城・玉城グスク
斎場御嶽 | |
名称 | 斎場御嶽/せーふぁうたき |
所在地 | 沖縄県南城市知念久手堅サヤハ原 |
関連HP | 南城市公式ホームページ |
電車・バスで | 那覇バスターミナルから東陽バス志喜屋行きで1時間26分、体育センター下車、徒歩10分 |
ドライブで | 那覇空港自動車道南風原北ICから約15.5km |
駐車場 | 南城市地域物産館・知念岬公園駐車場を利用 |
問い合わせ | 南城市教育委員会文化課 TEL:098-917-5374/南城市地域物産館 TEL:098-949-1899 |
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