ひめゆり学徒散華の跡

ひめゆり学徒散華の跡

沖縄県糸満市束里、沖縄戦跡国定公園に指定される沖縄本島最南端・荒崎の海岸部にあるのが、ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)。島民をも巻き込んだ沖縄戦で、南へ南へと逃げた日本軍と住民ですが、降り注ぐ弾雨のなか、追い詰められたのが荒崎の海岸。ひめゆり学徒隊もその中にいたのです。

実際に訪れて初めて実感できる「沖縄戦の悲惨な事実」

一般に喜屋武岬(きやんみさき)が沖縄本島最南端といわれていますが、それは「車で到達できる」という意味での最南端。
実際の緯度では、喜屋武岬東1kmにある荒崎の方が13秒(約400m)ほど南に位置しています。

平和創造の森公園の南端から海岸東部にダートで入るルートがあり、この道を使えば「ひめゆり学徒散華の跡」碑に到達できます。

昭和20年5月1日には大城知善(おおしろちぜん)先生に引率されたひめゆり学徒隊が糸数アブチラガマ(南風原陸軍病院の分院で600人ほどの傷病兵を収容)に入壕していますが、5月25日の南部搬退命令を受けて、本島南部へと撤退。
伊原の陸軍病院第三外科壕(伊原第三外科壕)などの鍾乳洞(ガマと呼ばれる地下壕)で看護活動を続けますが、アメリカ軍は「馬乗り攻撃」(地下壕の位置を予測してボーリングを行ない、 開けた穴からガソリンなどの可燃物を注入)を生み出し、各壕での抵抗を排除していきました。
6月19日、陸軍病院第三外科壕も解散命令を受けたため、ひめゆり学徒隊は、銃弾、砲弾の飛び交う中を引率教員2名と女子生徒12名が、なんとか荒崎海岸までたどり着きます(アメリカ軍は火炎放射器でアダン林を焼き払い、残敗兵や住民を炙り出し、海岸へ追い詰めました)。

海上はすでにアメリカの艦船が埋め尽くし、投降を呼びかけていましたが、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」という戦陣訓(東条英機陸軍大臣が、軍人のあり方を示した文書)が身にしみついていたため(沖縄県民も皇国教育、軍国教育を受けていました)、白旗を掲げることはありませんでした(サイパンや沖縄戦で、住民の集団自決が起こったこと、あるいは連合軍捕虜に対する過酷な扱いもこの戦陣訓が背景にあると考えられています)。

6月21日、岩場に隠れた平良松四郎教諭引率のひめゆり学徒隊の生徒らは突然アメリカ兵に自動小銃で攻撃され、混乱のなか、引率教員が手榴弾で自決し、8名が死亡、さらに米軍の機銃掃射により3名が犠牲に3名が重傷を負っています。
「ひめゆり学徒散華の跡」碑の碑文は「岩陰に一筋の黒髪 乙女らの自決の地なり 波もとどろに」。
石版にはこの地で亡くなった学徒隊12名と教員2名の名前が刻まれています。

平成20年の発掘調査では碑の東側の岩場から27体の遺骨が発見されているので、沖縄ではまだまだ終戦というわけにはいかないことがよくわかります。

荒崎海岸の東端に位置するので、最南端の海岸西側(喜屋武岬眺望)へは磯をかなり歩く必要があります。
一帯は「喜屋武海岸及び荒崎海岸」として九州・沖縄初の国の登録記念物に選定されるほか、沖縄戦跡国定公園(戦跡としての性格を有する国定公園としては我が国唯一)にも指定されています。

ちなみに「ひめゆり学徒」(ひめゆり学徒隊)とは、沖縄師範学校女子部と沖縄県第一高等女学校の両校から動員された学徒隊の戦後の呼び名で、「ひめゆり」の名前は、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の校友会誌『姫百合』に由来。
結果として生徒211人と教師16人、計227人が沖縄戦で尊い命を落としています。

糸数アブチラガマ(南城市玉城糸数)、伊原第三外科壕脇に築かれた「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市伊原)、そしてひめゆり学徒散華の跡をたどれば、ひめゆり隊の足跡を追う旅ということになります。

ひめゆり学徒散華の跡
名称 ひめゆり学徒散華の跡/ひめゆりがくとさんげのあと
所在地 沖縄県糸満市束里
関連HP 糸満市公式ホームページ
ドライブで 那覇空港から約16km
駐車場 3台/無料
問い合わせ 糸満市経済部観光・スポーツ振興課 TEL:098-840-8135/FAX:098-840-8155
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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