護佐丸の墓

護佐丸の墓

沖縄県中城村、中城城(なかぐすくぐすく)にほど近い小高い丘の上にあるのが護佐丸の墓。第一尚氏王統建国の功臣で、15世紀に活躍した中城按司(なかぐすくあじ)が護佐丸(唐名・毛国鼎)。墓は、護佐丸の死後、その子孫の毛氏豊見城家によって築かれたもので、護佐丸をはじめ第7代までの子孫の遺骨が安置されています。

讒言で自害した悲運の将、護佐丸の墓

『毛氏先祖由来伝』によると護佐丸は、中山尚巴志(ちゅうざんしょうはし)に従い北山(ほくざん)討伐に従軍し、今帰仁城(なきじんじょう)を攻略後、座喜味城を築城。
さらに1430年、中城の地領を護佐丸に与え、勝連按司・安麻和利に対する要として中城城を築城、守備しています。

尚巴志の子で第6代国王となった尚泰久は、護佐丸の娘を正室にするなど、尚氏と護佐丸は密接な関係にありました。
安麻和利は、軍備の増強を図る護佐丸をみて、王府に護佐丸に謀反の動きありと伝え(護佐丸が実際に反逆者であったとする説もありますが定かでありません)、その結果護佐丸討伐が行なわれて、ついに自害となるのです。

墓が居城である中城城にないのは、元々あった墓が崩壊したため、1686年に風水師・蔡応瑞(さいおうずい)に風水判断を仰ぎ、墓を移したから。
現存する亀甲墓(きっこうばか=亀の甲羅のような屋根が特徴的な琉球独特の墓)としては沖縄県内で最も古い時代のものとなっています。

名称 護佐丸の墓/ござまるのはか
所在地 沖縄県中頭郡北中城村久場
ドライブで 沖縄自動車道北中城ICから約3.2km
駐車場 中城城跡公園駐車場(80台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
中城城

中城城

沖縄戦の戦禍を免れ沖縄県内でもっとも原形をとどめたグスクが縄県中頭郡北中城村(きたなかぐすくそん)・中城村(なかぐすくそん)にある中城城(なかぐすくぐすく・なかぐすくじょう)。中城湾(なかぐすくわん)を見下ろす標高150mの琉球石灰岩の台地

 

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