沖縄県宮古島市、宮古島から海上橋の来間大橋を渡った来間島(くりまじま)の島の中央部にある沖縄県の史跡となった墓がスムリャーミャーカ。来間集落の南800mほどの場所にあり、スムリャー(長間家)一族のミャーカ(巨石墓)です。墓の内部からは、14世紀~15世紀頃の青磁片などの副葬品も発見されており、その頃の築造と推測されます。
グスク時代の石造技術をもとに築かれた墳墓
来間大殿ミャーカ、近代にはグンソーミャーカとも呼ばれ、大正時代頃まで使われた巨大な墓。
横9m、縦6.5m、高さ2.3mの大きさで、中央に一枚の琉球石灰岩の平板がかぶさり、石室は3室で構成されています。
ミャーカは、巨大な蓋石で覆った石棺や石室、それを囲む高さ巨石を積み上げた囲い石で構成される石造墳墓。
宮古島周辺では、来間島のスムリャミャーカのほか、久松の久貝ぶさぎ(松原ミャーカなどとともに久松ミャーカ群を構成)、仲屋金盛ミャーカ、大立大殿ミャーカ、伊良部島のスサビミャーカなどのミャーカがあり、グスク時代(琉球王国が誕生する以前の11世紀・12世紀頃〜15世紀・16世紀頃)の石造技術をもとに築かれていますが、時代や由来などは不明な点が残されています。
屋根のない石囲いの中に遺体を葬る風葬が、後世に巨大化、沖縄本島の影響をうけて横穴化して屋根をかぶせるようになったものとも、1360年頃から元・明動乱をさけて、優秀な技術をもって大陸から渡来した一群の人々によって造られらた石造墳墓ともいわれ、定かでありません。
スムリャーミャーカ | |
名称 | スムリャーミャーカ/すむりゃーみゃーか |
所在地 | 沖縄県宮古島市下地来間 |
ドライブで | 宮古空港から約10km |
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