ニンジン展望台

ニンジン展望台

沖縄県うるま市、沖縄本島・勝連半島の先に浮かぶ津堅島(つけんじま)の最高点、津堅バンタ(バンタ=崖)にある展望台が、ニンジン展望台。津堅島の特産はニンジンで、「人参とウサギの楽園」と称されています。畑にニンジンが生えている姿を模した展望台からは、トゥマイ浜を眼下にに沖縄本島を眺望します。

「キャロット愛ランド」津堅島のシンボルタワー

ニンジン展望台

「津堅ニンジン」が特産で「キャロット愛ランド」とも呼ばれる津堅島。
島の面積の8割は畑で、そのうちの6割がニンジン栽培ということなので、島の半分はニンジン畑ということに。
もともと換金作物としては津堅大根(チキンデークニ)を栽培していましたが、戦後、米軍向けにニンジン、パセリなどの生産をしたのがニンジン栽培の始まり。
昭和50年〜54年の土地改良事業で、旧来の琉球王国時代の名残りである短冊形の区分けが解消され、近代的な農業基盤ができ、昭和54年に国のニンジン産地指定を受けたことから、本格的なニンジン栽培が行なわれるようになりました。

津堅島は、根菜類を育てるのに適した水はけの良い赤土で、しかもミネラル分を豊富に含んだ海風が美味しいニンジンを育むのだとか。
「津堅ニンジン」は、他産地に比べてカロチン含有量が多いのが特徴で、島で収穫されたニンジンはフェリーで沖縄本島に運ばれ、沖縄県内でおもに消費されています。

のどかな雰囲気のニンジン展望台ですが、第二次世界大戦(沖縄戦)では、昭和20年4月10日、ニンギ浜にアメリカ軍が上陸、北へと進軍し、日本軍は、ニンジン展望台一帯の高台(36高地)で防衛をはかり、激戦を展開。
アメリカ軍は夕方までに島の北端に到達し、高台(36高地)で集結した日本軍を包囲しています(4月11日夜、米軍は津堅島から撤退)。
島民(島民が防衛隊に動員されていました)を含め負傷者にも高台(36高地)への移動を強制し、自力で移動できない者には自殺命令を発し、手榴弾で自殺するように迫ったと伝えられています。
また、逃亡を図った防衛隊員は、日本兵に殺害されたともいわれ、のどかな風景には悲しい歴史を秘めているのです(周辺には洞窟陣地壕群が現存)。

津堅島へは、勝連半島(うるま市)の平敷屋港(へしきやこう)から神谷観光のフェリー「くがに」で30分、高速船「ニューくがに」で12分。

ニンジン展望台
ニンジン展望台
名称 ニンジン展望台/にんじんてんぼうだい
所在地 沖縄県うるま市勝連津堅1378
電車・バスで 津堅港から徒歩20分
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
津堅港(神谷観光)

津堅港(神谷観光)

沖縄県うるま市の勝連半島の沖に浮かぶ津堅島(つけんじま)の玄関港が、津堅港(つけんこう)。勝連半島先端部の平敷屋港(へしきやこう)から神谷観光のフェリー「くがに」で30分、高速船「ニューくがに」で12分の船旅で津堅港に接岸します。キャロット

津堅島灯台跡

津堅島灯台跡

沖縄県うるま市、勝連半島沖に浮かぶ津堅島(つけんじま)の南端、カジチ岬にあるのが、津堅島灯台跡。明治29年に初点灯した沖縄県で最初に築かれた近代的な灯台で、第二次世界大戦(沖縄戦)で、日本軍の命令で破壊され、現在はレンガ造りの土台部分だけが

 

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