宇多良炭鉱跡

宇多良炭鉱跡

沖縄県八重山郡竹富町、西表島(いりおもてじま)の北部、浦内川沿いにあるのが、宇多良炭鉱跡(うたらたんこうあと)。浦内川の遊覧ボート乗場から川沿いに上流に向かって遊歩道が整備されて、片道1kmほどで到達できます。経済産業省の近代化産業遺産にも認定。

ジャングルに埋もれた炭鉱跡

宇多良炭鉱跡

西表島の石炭については、「燃える石」の存在が古くから内離島(うちぱなりしま)・成屋村の伝承などにより伝えられていましたが、ペリー艦隊(石炭の探査も行なっていました)の主任技師・ジョーンズが江戸湾・浦賀寄港後、那覇へと戻った際、沖縄全島の地質調査を実施して炭鉱の存在が認知されました(沖縄諸島で石炭が見つかっているのは西表島の西部〜北部だけです)。
明治政府の意を受け、三井物産会社が明治19年に沖縄本島の囚人を使役して採炭を開始しますが、マラリアなどの蔓延で断念しています。
沖縄唯一の石炭産出地として八重山炭鉱、琉球炭鉱、沖縄炭鉱などの経営で内離島での採炭が行なわれ、昭和8年には浦内川支流の宇多良に丸三炭坑(まるみつたんこう)宇多良鉱業所が開かれ、西表の石炭生産の中心的な存在となったのです。

国産の石炭の平均的な熱量は1kgあたり5500キロ〜6000キロカロリーですが、西表島の石炭は7000キロカロリーという良質のものでした。
ただし石炭層の厚みが30cmほどしかなく、効率のいい採炭はできませんでした。

宇多良炭鉱はジャングルを切り開き、近代的な設備と保健衛生を導入(マラリアを撲滅)。
400名収容の独身寮、夫婦用宿舎、私立学校「みどり学園」、300人収容の芝居小屋まで備わった炭鉱村が密林の中に出現しましたが、太平洋戦争で海上の搬出ルートを失い、閉山となり、トロッコの支柱跡、橋梁跡などの遺構はそのままジャングルの中に眠っています。

トロッコの支柱跡と橋梁跡は、西表島の炭鉱関連遺産として内離島坑口、内離島送風用煙突、内離島集落跡とともに「近代の沖縄経済に貢献した『2つの黒いダイヤ』製糖、石炭両産業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。

宇多良炭鉱跡
宇多良炭鉱の住宅
宇多良炭鉱跡
名称 宇多良炭鉱跡/うたらたんこうあと
所在地 沖縄県八重山郡竹富町上原
関連HP 竹富町観光協会公式ホームページ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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