サイトアイコン ニッポン旅マガジン

大阪城公園

大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の織田信長との石山合戦により堂宇を焼失。その後、秀吉がこの地に大坂城を築きました。

春にはお花見の名所にも!

本丸を取り囲む内濠、さらにその外側を囲む外濠と二重に囲んだ濠が往時の大坂城の規模を物語っています

明治以降、戦前までは大阪鎮台(のちに陸軍第四師団)が設置され、昭和6年11月7日の天守閣復元の際に、本丸内外の一部(9.6ha)を大阪城公園として整備しています。
当時は大日本帝国陸軍第4師団の軍用地だったため、公園化にあたっても日本陸軍の許可が必要で、天守再建と並行して師団司令部を建設することで同意を得ています。

大阪城公園の園内には藩政時代の大坂城を偲ぶ、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形など13棟の重要文化財が残され、「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されているほか、「日本の歴史公園100選」にも選定。

また緑豊かな公園には市民の森、西の丸庭園、内濠の東側の梅林などが整備され、春は桜の名所としても有名。
「日本さくら名所100選」にも選定。

施設としては、大阪城音楽堂、大阪城ホール、大阪城弓道場、修道館、大阪国際平和センター(ピースおおさか)、旧陸軍第四師団司令部庁舎、豊國神社などが公園内にあります。

内部が博物館になっている「大阪城天守閣」は、鉄筋コンクリートの復興天守で昭和6年完成(国の登録有形文化財)。

大阪城公園に残される江戸時代の遺構(重要文化財)

城内に残る重要文化財は、明治21年に大阪鎮台が復元した本丸桜門を除き、いずれも徳川幕府が築いた藩政時代のもの。

現存する13棟は、大坂城の正門・大手門、大手口桝形の多聞櫓、多聞櫓のすぐ北側に位置し小堀遠州の設計という千貫櫓、西の丸の西北(戌亥)隅を守る隅櫓・乾櫓、二の丸南面の隅櫓である一番櫓と六番櫓、花崗岩でできた石造の火薬庫・焔硝蔵、徳川幕府の金貨・銀貨の保管庫・金蔵、本丸の正面入口の桜門、本丸の貴重な飲料水だった金明水井戸屋形。

見事な石垣や巨石にも注目で桜門枡形にある蛸石(たこいし)は、推定130トンで、城郭建築としては世界的にも驚異的に巨大な石。表面積が10畳敷余りという巨石です。
岡山藩主・池田忠雄(いけだただかつ)が備前国犬島(現・岡山県岡山市東区犬島)から運ばせたもの。

蛸石は、縦5.5m、横11.7m、実面積は36畳敷。実は大坂城の巨石ベスト10のうち、蛸石、肥後石、振袖石の巨岩ベスト3ほか合計7つの石が岡山藩藩主・池田忠雄の担当。残りの3つは熊本藩・加藤忠広が讃岐国小豆島から運んだもの。

ちなみに大阪城公園一帯は、大坂城跡として国の特別史跡に指定されています。
大阪府下で国の特別史跡となるのは、大坂城跡のほか、百済から亡命した王族が建てたという古代寺院の跡・百済寺跡(くだらじあと)と2ヶ所だけです。

大阪城公園
名称大阪城公園/おおさかじょうこうえん
所在地大阪府大阪市中央区大阪城3-11
関連HP大阪城公園公式ホームページ
電車・バスでJR大阪城公園駅、JR・大阪メトロ森ノ宮駅からすぐ
ドライブで阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m
駐車場大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料)
問い合わせ大阪城パークセンター TEL:06-6755-4146/FAX:06-6755-4149
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

11月7日は、大阪城天守閣が再建した日

最後の大坂城の天守(大阪城天守閣)は、徳川時代の寛永3年(1626年)に完成しましたが、寛文5年(1665年)、落雷により焼失し、以降、江戸時代に天守は存在しませんでした。大阪城のシンボルとして、当時陸軍が駐屯していた大阪城本丸跡に昭和6年

大阪水上バスのりば・大阪城港

大阪府大阪市中央区、大阪城公園の北側、第二寝屋川にあるのが、大阪水上バスのりば・大阪城港。JR大阪城公園駅から徒歩3分、大阪城ホール前の噴水の川側に水上バス「アクアライナー」の起点となる大阪城港があり、3月下旬〜4月上旬には「アクアライナー

徳川家康ゆかりの合戦 9選

徳川家康が参戦した最初の大規模な合戦は、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)。「どうする家康」と窮地に立たされたことも何度もありながら、ついに天下人となるまでの、9ヶ所の激戦地(古戦場)を、現地の詳細情報をサイト内リンクしながら年代順に紹介

徳川家康ゆかりの城 11城

岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれ、幼少期には人質生活を送り、戦乱の世を生き抜き、ついに江戸に徳川幕府を開いた徳川家康。大河ドラマ『どうする家康』のタイトルどおり、波乱万丈、危機一髪が連続する人生ですが、ゆかりの城、転機となった城11城を、年代

大阪五大名城とは!?

大阪府下にある日本100名城選定の城は、国の特別史跡にもなっている大坂城、そして楠木正成ゆかりの千早城の2城。続日本100名城選定の芥川山城(あくたがわやまじょう)、飯盛山城(いいもりやまじょう)、岸和田城の3城を加えた中世から近世の5つの

大阪城公園・金明水井戸屋形

大阪府大阪市中央区、大阪城公園にある重要文化財(10棟)に指定される徳川時代の遺構のひとつが、金明水井戸屋形。本丸にある復興天守「大阪城天守閣」の横、小天守台にある井戸で、昭和44年の解体修理の際、天守と同じ寛永3年(1626年)の創建であ

大阪城公園・金蔵

大阪府大阪市中央区、大阪城公園となっている大坂城本丸跡で、小天守台上の金明水井戸屋形とともに国の重要文化財に指定される江戸時代の遺構が、金蔵(きんぞう・かねぐら)。その名の通り、徳川幕府の金貨・銀貨の保管庫で、宝暦元年(1751年)に2階建

大阪城公園・焔硝蔵

大阪府大阪市中央区の大阪城跡、国の特別史跡となっている大阪城公園で、国の重要文化財に指定される10棟の遺構のひとつが、焔硝蔵(えんしょうぐら)。焔硝とは黒色火薬のことで、江戸時代の石造火薬庫。貞享2年(1685年)築造の貴重な建築物で、現存

大阪城公園・一番櫓

大阪府大阪市中央区、国の特別史跡となっている大阪城公園で、ニの丸南面の南外堀に面して並んだ一番櫓から七番櫓のうち、六番櫓とともに現存する2つの櫓のひとつが一番櫓。国の重要文化財に指定されていて、外堀を隔ててその勇姿が確認できます。南外堀越し

大阪城公園・六番櫓

大阪府大阪市中央区の大阪城跡、国の特別史跡となっている大阪城公園で、ニの丸南面の南外堀に面しては一番櫓から七番櫓まで、2層2階の同規模の櫓が7棟並んでいましたが、現在では六番櫓、一番櫓のみ残され、ともに国の重要文化財に指定されています。南外

大阪城公園・大手口多聞櫓

大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手枡形を形成するのが大手口多聞櫓。北側の千貫櫓(国の重要文化財)とともに大手門を守備する重要な櫓門で、現存する建物は嘉永元年(1848年)築で、国の重要文化財に指定されていま

大阪城公園・千貫櫓

大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、大手門を守備する隅櫓(すみやぐら)が、千貫櫓。大手門を北側から防御する役割を担った2層の櫓で、元和6年(1620年)創建、国の重要文化財に指定されています。昭和36年に解体修理

大阪城公園・乾櫓

大阪府大阪市中央区大阪城、国の特別史跡となっている大阪城公園で、乾(いぬい=西北隅)の方向に建つのが乾櫓。櫓の西側と北側が西外堀に面する櫓で、大阪城公園内に現存する建築物としては、同じ西外堀に臨んで建つ千貫櫓とともに最古のもの。国の重要文化

大阪城公園・大手見付石

大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で、城郭の南西に位置する大手門を入った桝形虎口に連なる巨石のひとつが、大手見付石。高さ5.1m、幅11.0m、表面の面積47.98平米、推定重量108tという大阪城公園第4位の巨石で、左に二番石

大阪城公園・肥後石

大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で京橋口から二の丸に入ったところにある京橋門枡形虎口に配される巨石が、肥後石。大阪城公園で、本丸正門・桜門の蛸石に続いて第2位となる大きさで、肥後という名が付いてはいますが、岡山藩藩主・池田忠雄

大阪城公園・桜門

大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内で本丸の正面玄関にあたるのが、桜門。天下普請により枡形虎口の普請が完成した寛永元年(1624年)頃の創建と推測され、現存する門は、明治20年に第四師団司令部を城内に置いた陸軍が修築したもので、国

大阪城公園・蛸石

大阪府大阪市中央区、大阪城公園となった大阪城内でもっとも巨大な石が、桜門枡形巨石の蛸石。大阪城本丸の南端、内堀(空堀)を渡った桜門(国の重要文化財)の枡形にある巨石で、縦5.5m、横11.7m、厚さ75cm、面積は36畳(59.43平米)、

百済寺跡

大阪府枚方市にある古代寺院跡が百済寺跡(くだらじあと)。百済(くだら=古代の朝鮮半島にあった王国)が滅亡した時の最期の国王・義慈王(ぎじおう)から数えて4代目の百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく・698年~766年)が8世紀の中頃に氏寺

日本三大名城(日本三名城)とは!?

様々なジャンルの「日本三大」がありますが、そのなかでももっとも諸説あり、紹介するのが悩ましいのがこの日本三大名城(日本三名城)です。戦国時代までの中世の城郭、江戸時代以降の近世城郭という時代背景、規模の大きさで選ぶのか、はたまた築城者で選ぶ

大阪城天守閣『夏の開館時間延長』|2024

2024年7月24日(土)~8月31日(土)、大阪市の大阪城天守閣で『夏の開館時間延長』を実施。開館時間は通常9:00~17:00(入館は16:30まで)を終了時間を2時間延長して、9:00〜19:00(入館は18:30まで)に。天守閣入館

豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地

京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼と淀殿は自害に追い詰

豊國神社・秀石庭

京都林泉協会の創立40周年記念事業として大阪城公園の豊國神社に造られた庭園。作庭は、昭和の名園を各地に築いた重森三玲(しげもりみれい/当時の京都林泉協会会長)。晩年の作品で昭和47年に奉納されたもの。秀吉のと大坂城の建つ石山(旧地名)から一

豊國神社

天下を取った豊臣秀吉が祭神の神社。明治12年、豊国神社の大阪別社として中之島(現、大阪市中央公会堂が建つ地)に創建。昭和36年に大阪城公園内(大坂城二の丸)に移築されました。出世開運の社として有名です。明治天皇が再興を布告し大阪に創建された

大阪城天守閣

大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や巨石は瀬戸内海の島々

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了