社伝によれば6世紀頃、大阪湾に浮かぶ小島のひとつに住吉須牟地曽根ノ神を祀ったのが始まりという大阪屈指の古社、露天神社(つゆのてんじんじゃ/お初天神)。現在では梅田の高層ビルの狭間に位置していますが往古はこの地は小島だったのです。南北朝時代以降、曾根洲が地続きの曾根崎・梅田の総鎮守として尊崇を集めています。
『曾根崎心中』の舞台が天神の森
『摂津名所図会』によれば神社の名の由来は、菅原道真が太宰府(だざいふ)に流される際に通りかかって詠んだ歌「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に因むのだとか。
元禄16年4月7日(1703年5月22日)、堂島新地天満屋の遊女・お初と内本町平野屋(醤油屋)の手代・徳兵衛が露天神社境内の天神の森で心中事件を起こします。
それを浄瑠璃として描いたのが近松門左衛門の『曾根崎心中』(そねざきしんじゅう)。
竹本座での上演は、事件のちょうど1ヶ月後の5月7日ことでした。
当時、時代物しかなかった浄瑠璃の世界に、町人が主人公となる「世話物」(世話浄瑠璃)というジャンルを築いた記念碑的な作品となったのです。
以後、主人公・お初の名から通称「お初天神」として親しまれるようになり、縁結びの神様としても知られるように。
「恋人の聖地」にも認定されています。
現存する社殿は、太平洋戦争で焼失し、戦後に再建されたもの。
毎月第1金曜には境内で『お初天神蚤の市』も開かれています(雨天の場合は中止)。
また御堂筋と新御堂筋に囲まれた参道一帯はお初天神通り商店街となっており、大阪駅前の繁華街の一角。
近松門左衛門『曾根崎心中』
醤油屋・平野屋の主人は、真面目に働く手代の徳兵衛(徳兵衛の両親はすでに他界)を見込んで、娘と結婚させ跡取りにしたいと考えていました。
徳兵衛は縁談を断りますが、継母に支度金を渡して縁談を進めます。
主人に返そうと、継母から支度金を取り返した徳兵衛は、途中で会った親友・九平次に3日間の約束で、その金を貸してしまいます。
ところが、九平次は、借金を反故にしたあげく、お初の前で「徳兵衛の話は嘘八百だ」とまくしたてます。
この話を聞いていた徳兵衛は、落胆し、お初の「一緒に心中する覚悟をききたい」という言葉に耳を傾けるのでした。
露天神社(お初天神) | |
名称 | 露天神社(お初天神)/つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん) |
所在地 | 大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4 |
関連HP | 露天神社(お初天神)公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄谷町線東梅田駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 露天神社社務所 TEL:06-6311-0895 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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