大阪府富田林市富田林町に残る昔町が、富田林市富田林伝統的建造物群保存地区。永禄年間(1558年~1569年)、興正寺門跡14世・証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が興正寺別院の建立と信徒が暮らす町の町割をしたのが始まり。周囲に堀を巡らせた城郭のような寺内町(じないまち)が現存しています。
中世末〜近世の自治集落遺構が現存し、大阪府唯一の重伝建に!
興正寺門跡14世・証秀上人は、荒れ地を銭100貫文で購入し、近隣4ヶ村から8人の有力者を呼び集め、御坊(興正寺別院)を建立。
御坊(興正寺別院)を中心とした6筋7町、東西南北350mの範囲に碁盤の目のよう町割を行ない、周囲には土塁を巡らし、さらにその外側に堀を造って城塞都市を形成したのです。
町政は8人の合議制で行なわれ、江戸時代には天領(幕府の直轄地)となりましたが、石川の舟運、東高野街道・千早街道の要衝であることから、良質の米、綿、菜種などが集積する商業の町としても繁栄、寛文8年(1668年)には51種、149店舗が軒を連ねるまでに発展したのです。
当時、周辺の農家はブドウを栽培し、町では葡萄酒を製造するなど、先進的な試みも行なわれています。
現在も残る歴史的な景観は、平成9年に大阪府で初の国の重要伝統的建造物群保存地区に指定、町並みの保存が進んでいます。
指定地域11.2 haにある町家500棟のうち180棟が伝統的な建造物で、興正寺のある城ノ門筋は「日本の道100選」に選ばれています。
また道を半間ほど意図的にズラした「あてまげ」という構造は、見通しを悪くし、大軍の進軍を阻むという防御的な機能を意図して。
町歩きの際には、鬼瓦、目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子(むしこごうし)を付けた虫籠窓(むしこまど)、屋根の煙出し、塀の上の忍返し(しのびがえし)、牛馬をつないだ駒繋ぎなど、昔の建築手法にも注目を。
虫籠格子(むしこごうし)は明り取り、そして通風のために設けられたもの。
寺内町とは!?
寺内町は、町全体を仏法(浄土真宗=一向宗)のおよぶ空間、つまり寺(富田林では興正寺)の境内と見なして信者が生活をともにする宗教自治都市。
寺内町・富田林の行政は富田林八人衆と呼ばれる有力者の合議制で行なわれ、一向宗徒に厳しい弾圧を加えた織田信長も「寺内別条なき」という安堵(保証)を与えていました。
富田林八人衆の筆頭年寄で、寺内町(じないまち)繁栄の中心的存在だった「旧杉山家住宅」は国の重要文化財で、寺内町で唯一内部を見学できる施設となっています。
大阪府の文化財に指定される仲村家住宅は、造り酒屋「佐渡屋」の遺構で、外観のみ見学が可能。
寺内町としては、富田林と奈良県橿原市の今井町(橿原市今井町伝統的建造物群保存地区)の2ヶ所が国の伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されています。
富田林市富田林伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 富田林市富田林伝統的建造物群保存地区/とんだばやししとんだばやしでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 大阪府富田林市富田林町 |
電車・バスで | 近鉄富田林西口駅から徒歩10分、富田林駅から徒歩10分 |
ドライブで | 阪和自動車道美原南ICから約7km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 富田林市文化財課 TEL:0721-25-1000/FAX:0721-25-9037 |
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