大阪府枚方市にある古代寺院跡が百済寺跡(くだらじあと)。百済(くだら=古代の朝鮮半島にあった王国)が滅亡した時の最期の国王・義慈王(ぎじおう)から数えて4代目の百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく・698年~766年)が8世紀の中頃に氏寺として建てた寺跡で、国の特別史跡になっています。
百済から亡命した王族が建てた氏寺の跡
昭和43年には全国初の史跡公園として整備され、跡地には古代寺院の基壇と礎石が復元されています。
発掘調査では、7世紀後半の瓦などの遺物が出土し、さらに百済寺跡の下層から大型建物跡が発見されています。
つまり660年、唐・新羅連合軍の侵攻で百済(くだら)が滅亡した後(663年、百済を支援する倭国の水軍と白村江で決戦となり、倭軍が敗北)、百済王の一族はこの地に逃れ、大邸宅を築いたのだとと推定できます。
その大邸宅の跡地に大寺院を開いたというわけなのです。
百済寺を建てたとされる百済王敬福は、陸奥守在任時、東大寺造営に陸奥国で産した砂金を献上した功績で天平勝宝2年(750年)、宮内卿として京官に戻っています(従五位上陸奥守から従三位河内守へ異例の昇進し、河内を拠点に)。
百済寺の金堂、講堂などを中心に東塔と西塔を配する伽藍様式は新羅の感恩寺(三国統一を成し遂げた文武王の冥福を祈るために682年に創建/現・慶尚北道慶州市)と類似し、故郷の寺の伽藍配置を採用したと想像できます。
百済寺跡の西側には百済王を祭神とする百済王神社が鎮座しています。
創建は百済寺と同じ頃と推定され、百済寺は鎌倉時代に廃寺となっていますが、神社は今も地域の氏神として現存。
また「百済寺跡の松風」は、枚方八景のひとつに指定されており、その名のとおり、松の間を駆け抜けるさわやかな風が情緒を感じさせてくれます。
大阪府下で国の特別史跡になるのは、大坂城跡(現・大阪城公園)と百済寺跡の2ヶ所のみで、いかに貴重な史跡なのかが、よくわかります。
百済寺跡 | |
名称 | 百済寺跡/くだらじあと |
所在地 | 大阪府枚方市中宮西之町1-60 |
関連HP | 枚方市公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電鉄宮之阪駅から徒歩10分、または、京阪本線枚方市駅から京阪バス津田方面行きで5分、中宮下車、徒歩3分 |
ドライブで | 第二京阪道路枚方東ICから約6km |
駐車場 | 8台/無料 |
問い合わせ | 枚方市観光交流課 TEL:072-841-1357/FAX:072-841-1278 |
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