高槻城公園

高槻城公園

大阪府高槻市城内町にある高槻城の二の丸、三の丸、弁財天郭、厩郭跡を中心にする4.47haの都市公園が高槻城公園。高槻城は、元亀4年(1573年)、キリシタン大名・高山右近(たかやま うこん)が、本丸や二の丸のほか町家までも塀で囲んだ堅固な城を築いたのが始まり。「高槻市立歴史民俗資料館」も建っています。

江戸時代、高槻藩の藩庁がここにあった!

高槻城公園

天正13年(1585年年)、豊臣秀吉によって船上城(ふなげじょう=現・明石市)に加増移封されるまでの12年間、高山右近の居城となっていました。
城内には天主教会堂やセミナリオも建てられ、高槻は堺と並んで江戸時代のキリスト教布教の拠点となっていました。

京と大坂の中間に位置し、南に流れる淀川の舟運もあって水陸の要衝に位置するため、元和元年(1615年)の大坂夏の陣では徳川方の重要な補給基地として機能しています。
江戸時代には高槻藩の藩庁が置かれ、3万6000石ほどでしたが、要衝にあるため、内藤氏、土岐氏、松平氏、岡部氏、永井氏と譜代大名が藩主を務めています。

明治7年、官設東海道線向日町駅(むこうまちえき)〜大阪駅間敷設(明治9年開業)のための石材供与のため遺構、石垣などは破却され、往時を偲ぶものは残されていません。
昭和25年に大阪府の史跡に指定され、その一部が城跡公園として整備されています。
園内には芝生広場を中心にアスレチック的な遊具を配した遊戯広場ゾーン、城跡のお堀を模した石垣がある散策・休養ゾーン、城跡公園野球場(市民グランド)、城下の紺屋町に建てられていた商家を移築復元した「高槻市立歴史民俗資料館」(高槻市立しろあと歴史館の分館/入館無料)、交通遊園(火・木・土・日曜開園)などがあります。

現存する石垣、堀も往時を模して復元したもの。
城跡公園の北側にある高槻商工会議所の横には「高山右近天主教会堂跡」の石碑が立っていますが、高槻城の厩郭(うまやくるわ)にあたる場所。
高槻商工会議所の西にある野見神社付近に教会堂は建っていました。
高槻城跡の石碑が立つ槻の木高校が本丸、城跡公園野球場(市民グランド)、芸術文化劇場が二の丸、第一中学から「高槻市立歴史民俗資料館」にかけてが三の丸。
第一中学北側(三の丸跡)には「高槻市立しろあと歴史館」(入館無料)もあるのであわせて見学を。

高槻城公園
高槻城公園
名称 高槻城公園/たかつきじょうこうえん
所在地 大阪府高槻市城内町3
関連HP 高槻市公式ホームページ
電車・バスで JR京都線高槻駅から徒歩15分、阪急京都線高槻市駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路茨木ICから約7.5km
駐車場 しろあと歴史館駐車場(10台/無料)
問い合わせ 高槻城公園管理事務所 TEL:072-671-0024
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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